2016年2月26日金曜日

見えなくなる自分

自分という存在は,
自分そのものが体を持っているにもかかわらず その姿、全体像はほとんど見えない 。
というのは、鏡を使えばそのかたちは確認できるが 鏡に映らない自分自身は、どうだろう。

人の存在は、とりあえず人の格好をしていればいいわけではなく、目に見えない内面も含めて自分という存在だ。
ところが、他人のことは相談にのったり、相手が どういう状況かを見てアドバイスをしてあげることができても 、自分自身のこととなるとよく分からなくなるものだ。

自分を丸ごと客観的に見ることができるもの、目には見えないけど「あなたの状態はこうですよ」、という鏡があるのなら、それを見て、歪んだ襟を正すように、おかしなところをチェックして、人にも見せられるよう、身だしなみならぬ心構えを整えたい。

自己成長、発展、自分磨きなどのキーワードに、目がとまるときがくる。
世の中には、ありとあらゆる情報が溢れている中、自分に合った方法を見つけ出すことが出来るだろうか?
飛びついて買った本を1回読んだか読まないかで、済んだという記憶
「あの話は、知っている」程度
ちょっとかじって、分かったつもり

そんなことを
繰り返して、モノに出来なかった経験はいくつもある、ノウハウコレクターで、「やってる感」に満足。

そんな失敗を、

できれば他人から指摘される前に 自分自身で気づけ、修正できたら 他人の目を煩わすことなく自分の事は自分で処理できるということだ。


不快なことがあるならば、過去の感じ方が真に自分の為に向かっていなかった。
また、不快の感じなくとも、結果的にその選択が、寂しい結果を呼ぶならそれも真ではない。

自分のどういう感じ方が、自分にとってわかりにくい、「真」ではなかったのか?
たとえば、自分がこれでオッケーと思っていた事も 実はちょっとさぼっている部分にok という蓋のようなものをかぶせていた。
そしてあるとき ちょっとサボっていた部分の指摘を受ける。
その時に 自分がサボっていた分を 認めることができれば 素直に改善の道が 開く。


 ところが この指摘に、反抗したくなる、「だって…」と、言い訳したくなる、更に、指摘に嫌味がまじっていたら その嫌味に焦点が当たってしまう等して、イライラすると真の原因から離れていく。
「おいおい、そこは、イライラしなくていいから、帰ってきて!自分。」と、心の中で、客観的に見られる自分を育てたい。

自分のために分なる部分を抜き取って、 そこに焦点をあてつづける。 クリアできるまで。しかし、 いつまでたっても。「だって…」から抜け出せないなら、こんな時、人は悩む。

別のたとえ、「上から目線」という言葉 。
気になる人にとっては とても耐えがたい言葉 なのだろう。
そもそも「目線」という言葉自体も、へんてこで気になる日本語だが、それはさておき
他人から自分は、見下されている、 と認識するなり たちまち 怒りが湧き上がってくる不快感。 見下されていることに反応するということは 、実は同じように 自分も他人を見下しているということになる。
不備・不足に優越感を持つ。
「わたしのほうが、まだマシだった」は、よくある話、何を見て、そう思うのか?
他人には平気でしていても、自分にされたら 、それは別?

そんな自分を認識する事で、ストレスからの解放が始まる。

大体は、認識したくない。「そんなことはない。」と、言いたくなる。
しかし、経験者は言う、認めて、立ち向かえばいい。そして、賢者は言う、法則性に基づいて人は行動すればよい、と。

一人でも多くの人がこの仕組みに気づいたら、受けなくて良いストレスに誰でも気づく事が出来る。出来るだけ早く、歳月を重ね続ける前に…



                     
      あらゆる出来事から、人は  気づく時があり、その必要がやってくる。



今、目の前で起こっている不快は、 「あるとき 私も他人に与えていることが無いだろうか?」と、考え正すきっかけは、「はたと気づいてしまった現実」に、その時が来た!のだ。


「やらかしていた」ら、「やらかしてたわ。」と認め、次は、どんな自分になっていたいか?
を、丹念に、繰り返す。

お約束は、

「決して、自分を責めない」

人生半ば、幸せになるために、チョット頑張る!





たけのことれんこん;Before


After..ピリ辛風味


2016年2月24日水曜日

チャレンジ という計画

何か自分に身につけたいことに、 目標を定める 。
その目標は 自分が少し頑張ればクリアできそうな目標なのか? または、「こうなったらいい」と、結果に近い状態の目標なのか ?そして、目標には期限が必要だ。 しかし、 その期限に 、無理して背伸びした目標を立てていたとしたら、どうだろう?
周りからの圧力に、応えるための目標設定なら、基準が他人になっている。すでにクリアした他人の立場から 、「注意される事を、目標に」とするなら、きっとその目標は、本人にとって苦しくて、達成に向かいづらい。
行動につなぐ為の目標は、十分な算段が、いる。

1ヶ月後に なにかができるようになるという目標、その1ヶ月間頑張ればものにできそうな内容なのかどうか?よく考え準備しなければならない 。
自分が今どのレベルにあるのか 、どんな状態なのか?ということを知ることから目標計画が建てられる 。
と、それはさておき 願望だけが先走って目標を立てればきっとそれは叶わぬまま、過ぎてしまう。願望と合わせて「その為には?」と、自分に質問し、答えを自分から出してみる。
 今の自分が少し頑張って、意識を置けばできそうなこと 、それが 近い将来の目標設定 。例えば 1週間 2週間という単位でいつまでにこれを覚える。という小さな目標を建てみる 。小さな目標はすぐに忘れてしまいがち 。そして 、めんどくさく思ってしまうこともある 。
「今日はめんどくさいから、やめてしまいたいな。」という気持ちが 浮かぶなら、

そんな時 こそ、「めんどくさいと思うから 、やっておこう。」と逆の方に引っ張る気持ちを持ってくる。これは、継続のためのコツともいえる。そう自分に教え込むとそれが習慣化する 。「めんどくさいから、やっちゃう」 その瞬間のやり取りを頭の中で繰り返せば、 きっと 1週間後 2週間後に今の状態とは違った自分が存在しているはずである。それを積み上げて、自信がついてゆく。


わからないことだらけの自分に、たくさん質問する。
「それってどうなんだろう?」
「その先は、どうなるんだろう?」

これらの質問に答えがわかったら「なんだ、そうだったのか」と、静かに納得の日が訪れる。
そんな日が来ることを知って、今を一歩ずつ踏み固めていく。

40代で、あらゆるチャレンジをはじめる人達はたくさんいる。私もその一人。

今週も大事エネルギーたっぷりの野菜にお世話になる






2016年2月20日土曜日

根底にあるもの

今の私には、目の前に課題がある。
それは、突然のタイミングでやってきたが、本当は、そろそろ考えなくてはな…ということで、来たのかもしれない。
今まで、習ってきたことを、今度は自分が人に教えるつもりで習えば、同じことでも、耳への聞こえ方や、頭の入り方が違う。
自分が習ったことを、人にわかるように説明するには、自分が知ってる今までの経験に加え、相手の状況を、想像する必要がある。
そして不確実を、より明確にするために、自分の経験のどこがまだぼやけているのか、洗い出すように丁寧に確かめる。

何度も繰り返して、体が覚えるまで。

自分の今までの経験からいくと、およそ10年以上続けてきたものは、その辺りで、ジャンプアップするタイミングとなる。今までの状況から、レベルが上がり、より確かな努力の末、実りある成果へ向かう。
この度さらなる成長を目指して、将来的に、指導の道も視野に入れている、太極拳。
もともと武術だが、まさに宇宙法則そのものを動きに表してあり、人間に必要な要素がたくさん詰まった、健康法だと思う。動きがゆっくりだから、運動をしてる感じがしなく、頼りない体操にしか思っていない人もいるかも知れない。
かつての私も、 始める前は ご高齢者の体操だと思っていた 。ところが つづけてみて、 わかったことがある。
人の体の仕組みに対して理にかなった動きであれば、 その動きが早かろうが遅かろうが問題はなく、奥深いものがあるということがわかった。 練習においても、最終的に残る課題に共通することは 「力を抜く」 それが一番簡単なようで難しい。
これは どんな技でも身に付けたいと練習すれば、最終的にここに行き着く。コツをつかめばあとは、力を抜いて、身に付けた技を、目の前で行うのみだ。

太極拳を初めて私の体は随分変わった。
膝関節の痛みがなくなり、 また痛める要因をなくすこともできた。
痛める要因とは つまり自分の体をゆがめて使っていた から 痛みが出たわけで、 体をゆがめて使う日常を、まっすぐになるよう気を付ければ、その後痛めず、更に太極拳の副産物、体幹( インナーマッスル)が鍛えられ、姿勢も良くなった。ゆっくり時間をかけて、自分の体を、客観的に考える。
ゆっくりマイペースが、更に私にぴったりはまったようだ。
掴みどころのわかりにくい動きだから、「難しい」と思われるようだが、何でも最初はそう思うかもしれない。
しかし、回数を重ねるごとに、少しずつ見えてくる。
「あ、これなのかな・・・。」という感覚。

ゆっくり掴んでいけばよよいこの感覚を、焦らずに心地良く掴んでもらえるように誘導できる指導者になりたいと思う。

多くの大先輩に習って、只今イメージトレーニングと、実技練習で私なりの猛特訓を始めた。


新しい課題は、私に「それいけ!」と、勢いよく押し出し、おかげでいつも頭から離れることのない、粘着する思考(頭の中をぐるぐる回る感じ)を与えた。






2016年2月14日日曜日

めざせ日本代表、箸美人!

 歯科の臨床現場で働く、新人アシスタント(歯科助手)さんへ、お仕事のノウハウ資料を作りました。
と、最初はそのつもりでしたが作っていくうちに18枚のスライド式、テキストになりました。

テーマは、「鉛筆持ち」。

鉛筆なんて、小学校以来、縁遠くなりがちですね。ましてや、小学校卒業後10年以上も経てば、先生の指導から、自分の生活習慣においてアレンジされてしまった鉛筆持ちに、変わっていることもあります。

実際に、彼女たちの鉛筆持ちを、写真に撮らせていただくと、クセづいた「普段持ち」と、基本の形に近い「よそ行き持ち」という、取り繕いの術まで、用意しています。

包み隠さず、協力してくれた彼女たちに感謝の思いを込めて、そして時間を許さない現場で、追われるように、未消化のまま仕事をする彼女たちの過酷な環境に、私達歯科衛生士が、アドバイスできることは、
何においても、最低クリアしておきたい「鉛筆持ち」だと、行き着いたのでした。そのきっかけをもとに、密かに院内プチセミナーを思いつき、計画をはじめて約一週間後、そのタイミングはやって来ました。

数多くの器材を使い、あれこれと持ちかえながら作業をし、両手は別々の作業をしながら、患者様の様子を伺い治療の流れの一端を担う。

その中で
この鉛筆持ちを、正しく持てることは作業の安定、確実さ、効率の良さに繋がり、引いては自分の体を守る姿勢を得ることになる。

私たちも、専門学校に通ってこそ、口すっぱく何度も指導いただいて、ようやく身につけたこの手や体の感覚を、説明したくても、「経験して覚える」「技を盗め」程度の説明では、今の時代、追いつけやしません。

感覚を、言語化することが求められたのです。

短時間で終了出来る内容
説明と簡単な実習を含む
練習中の気持ちの捉え方の注意点

以上の点に気をつけて、20分程度のプチセミナーを行いました。

終了後、各自練習するためのポイント、目の前の些細な目標設定と、感想を書いて頂きました。
感想の中には、鉛筆持ちの再確認ができた
      今までの持ち方を見なおしたい
  また、目標設定には、
      目で確認する
      意識を置くなどの、

当たり前のようで、重要な点に気づきがあったことが、収穫だったようです。
     


うまくコツにたどり着き、クリアできたら、きっとお箸もキレイに持てる日が来ますね。マスターしたら日本代表ですよ。

自分の苦手を、ひとつひとつこなしてゆく作業は、
点を知り、 点と点をつなぎ、線を引く。やがてその線は、最初においた点と繋がり、円となる。

 円ができれば、あとは、円運動を繰り返していく。起動に乗るために、自分で決めた課題をこなしていくとは、地道だけど、実はそれが最短コース。

誰にだって出来る。
何故ならば出来るようになるまで、その強い願望と共に、くりかえせばいいのだから。。


2016年2月12日金曜日

ショック療法

総義歯をした、あるお年寄りとそのお孫さんの話。
義歯を洗うために、口から出すところを、孫に目撃されてしまい、孫にとっては大変な事件だった。
お母さんを呼んで、

「おじいちゃんの歯茎と歯が、全部出てきたよ!」
っと、 報告に来たという。
更に、
義歯を口の中に戻すところを見て、
「おじいちゃんが歯を食べた!」
と、 驚きとショックの様子だったそう。
なかなか、歯磨きをしなかったこのお孫さんは、これを機に、歯磨きをするようになったという、ある患者様とのお話。

今まで何度も出くわして注意しても、聞く耳を持たなかったが、あまりにもの「ショック」という刺激により 一転して その後の生活が変わってしまうこともある。

その時、頭に強く焼き付けられた記憶は、自分が今までよかれと思ってしていたことさえ、引っくり返され「これは、もうやめておこう」と、方向転換した経験はいろいろある。
すべては、気付きがあり、解決策を前向きに考えれば、学習効果もあらわれる。
今一番自分のためになったと感じる私の「ショック」は、自分を責める、責めグセに、気付いたことだった。

「できていない」と、感じるやり場のない気持ちは、「出来ないからダメなんだ」と、そんな自分を責める。
と、同時に潜在意識は、自他の区別がないという特徴を、持っている。
自分を責めるクセは、他人や物にも責める癖を持つ。
ひどいときは、責任転嫁。
自分への習慣を、他人にもしてしまう責めグセ。
あの時なぜ、気付けなかったのか?それは、無知だったからの一言に尽きる。
苦しい自分、認識することが難しい。感情に飲まれているとき、責める言葉をはく自分は、わからない。

だか、確実に認識できるのは、その後「破壊的な結果」が、待っていること。
自分がとった方法は、誰もが「それがいい」と選択している。しかし、怒りや、虚しさ、自己嫌悪に陥る、自暴自棄という結果が来るのに、そうなる自分を選択していいのだろうか?「好きでやってるんじゃない」はず。しかし、そうなる事が「好き」な自分が、本当はいるのかも知れないと、信じがたい仮説をたててみる。

無知な自分を知るという「ショック」に飛び込むには、少しの恐怖を感じる。



その恐怖から、逃げたら少し力を増して、同じ種類の恐怖がまたやって来る。逃げた分力が増すなら、気付いた先から、手を打つのが賢明だ。

自分を責めずに、耳に痛いと感じる話に、向き合い続ける。
それが、戦士。
西洋ワサビ収穫、食卓のそばに…



2016年2月3日水曜日

動物的なクセ

立春を迎える。
今日は、豆まき。

節分を機に心の鬼を追い払いましょう。と、小学校のお便りにも、子どもたちそれぞれの鬼を書いている。

落ち着かない鬼
ふざけ鬼
いらいらする鬼
勉強嫌い鬼など・・・。

子ども自身も、「これが自分からなくなったらいいのにな」、と思うことは大人以上にわかっているらしい。
しかし、毎度やらかしてしまうには、
それなりの衝動的な力が内在してしまっているからだ。


私たちはその昔、動物として生き、今に至るのだから 動物だった過去の記憶も持ち合わせている。
動物は、物理次元で生きている。
 だから、生きていくためのルールは危険からは 、逃げる。
目の前にある 欲しい物は獲得する、つまり、楽や 快は、 貪る。

このようなルールを元に生命を存続させながら DNAは進化し、
人間という新しい過程を迎えた。

私達は、何がプラスアルファされたから、人間になれたのだろうか?

それは、意識次元。
つまり、感情を、時間という目盛りで表現する。
例えば、他人から受けた恩を返す、記念日にプレゼントを用意するなど、過去の思いを現実に表現、または今の思いを未来に表現できる。喜怒哀楽にわければ、さまざま出てくる。


人間は、この物理次元と、意識次元の中で生きていることになる。
物理次元の感覚で生活をすると、ご承知の通り、何処か不具合がやってくる。
物理的な危険(身の危険など)は、回避が必要だが、
意識次元の生き方とは、「湧き上がる感情を客観的に見る」という、技がいる。
嫌だなと、怠け心が湧いてきたり、苦だと感じる部分を発見すれば、あえてそこに飛び込む思いで、向かってゆくと、その先が見え、開けてくる。


また、楽や快を求めるものには、たやすく手を出してしまうと。それに変えられない大切なものを失いやすい。だから、準備して待っていれば、調度良い。

以上を、

法則性で解かれたものは、意識次元と物理次元では、苦楽を引き寄せる法則性が逆さまだという事になる。

思い当たることは、誰にでもあるに違いない。
自分が過去、動物的に思考していたことを、この法則性を用いて考えてみる。
思い当たる節が、普通の人で200〜300個ある。
数にすれば、多いけれど意識を置けば1つずつ消えてゆく感触がわかってくる。
自分が歳を取る速さと、クリアしていく時間を計算すると、歳をとれば取るほど、気分も若返り、執着もなくなり、ストレスから無縁の域に近づいてゆく。そんな未来が待っていると、確信できる。

心の鬼の退治の方法には、それなりのやり方があった。

誰にでも、知ればチャンスがやってくるとは、このことだ。

あのりんごがほしい〜

どんな方法を使っても!だ。

2016年1月31日日曜日

ギリギリの手応え

技術職には、あらゆる種類がある。
家電店・電気工事業という技術屋の家に生まれ、職人魂の住む家に住んでいた私。

ふつうの家の、玄関というものに憧れていた。
電話に出ようならば、とりあえず自分は知らない人でも「いつもお世話になっています」と、しゃべるが基本。


特殊な道具類に囲まれ、派手な音を立てて作業する父。
溶接の光を見るなと言われていたけど独特な音と、あの臭い、遠くからその様子を横目に幼少の頃遊んでいた記憶もある。
「手に職を持つ」事は、当たり前に考えていて,
今の仕事への憧れは、まさにこの幼少期にした「歯医者さんごっこ」が始まりだった。

母親の歯科治療に付き添い、診療室をウロウロさせてくれた環境は、私にとってラッキーだった。机の上の器具を扱いながら、歯科医の補助をしていた女性は私にニコッと愛想笑いをしてくれた。

「その机の上に置いてあるものが…見たい!」その時の私の強い願望はこうだった。

背丈が小さいから、机の上にある物が何なのか見られなかった。
そして、「自分は大きくなったら、それらの器具を触ることが出来る仕事につきたい。」と、思った。

以降、しばらくの間なぜか記憶が飛び、高校3年、自分の進む道が決められず迷っていた頃、当時の担任だった、わりとご高齢の数学の女性教師が、私を職員室に呼んでこう話した。

「私の姪で・・・、歯科衛生士をやってる人がいるんだけどね…」
                     (ピンときた瞬間だった。)
幼少の記憶が、一気に立ち上がり、もやもやしていた視界が開けた。
「あなたに、どうかと思って…」と、言われた時には、即「先生、私それに決めます。」

何で、今までそんなこと忘れてたんだろう?不思議だけど、
この時、しびれを切らした神様がいたとしたら、働きかけたに違いない。と、思うくらい、今となってはハラハラするタイミングの決意だった。

心配した母に、
「戦争ほど勉強しないといけないくらいの専門学校みたいだが、大丈夫か?」
と、何度も聞き返されながら、その後、人生において大変お世話になるであろう県立の専門学校に晴れて入学した。
(「戦争」って…お母さん!?)


それから、幾度も年数を重ねブランクもありつつ、今の職場は今までで一番長い勤務期間となる5年目を迎えた。


次第に自分色がはっきりとあらわれ、技術を施す対象の原点を考える。
「この歯肉は、今日のこの人にとって許容しうる範囲なのか、超えているのか?」
(この疑問は、歯科衛生士でないとピンときにくいか?)

職業柄よく見る歯肉の状態は、血液の色、体の締まり具合、免疫力の状態いわゆる、体調が現れる。
検査をしたわけではないけれど、目の前で体が疲れたとサインを出しているようなら、聞いてみる。
「体が、つかれたり、寝不足してませんか?」

ほとんどの、患者様は、認識される。中には、「なぜわかるのか?」と、聞かれる人もある。

事実を、そのまま伝える。
伝えた方も聞いた方も、それぞれ事実を知ったからには、責任が生じる。
そして、今自分に対応出来る技術を投入し、ギリギリの感覚を研ぎ澄ます。

その間、繊細な患者様だからこそ、伝わるものがあるらしく、感想をいただくと、気が更に引き締まる。


誰もが自分の体を所有して 、管理をしている。
 今どんな状態なのか?
 元気なのか?
 疲れてるのか?

疲れてるって分かったら、体を休める方向に重点を置く、 元気なら 活動すればいい。


自分の状態は 本当は自分が一番わかっているはずであるから。

そんな個人の生活の傍らに、私の技術が役に立ち、時間の共有が出来れば幸せだ。
人と人の仕事は、本当に魅力的だ。

2016年1月27日水曜日

GO!女子、味噌会報告

女子会並の味噌作り、無事終了しました。
今日一日で私にとってあらゆる世代と交流のあった日。そのどの人たちも共通していたことが、
「楽しみをもって、目の前のことをしている」という事でした。

その中でも、発見の多かった味噌作り。今後もぜひ続けたいものです。


本日は12樽分の材料が届きました。参加者は大豆煮を自宅で済ませて、参加です。
チャレンジャー「ひよこ豆」編、どんな仕上がりか、楽しみの一品。 

 大豆を潰すとき、マッシャーでこの量は、キツイな・・・と、昨年から温めた大豆を厚手の袋に入れて、足で踏んでマス。大豆が温かいうちなので、足がぽかぽか、更にダンボールに入っちゃえばもし袋が破れても、慌てすに対処できます。子どもとするなら、これがおすすめ、大人が箱に入って作業することはそうない・・・。なんか、童心に帰る感じ?
 潰した大豆に、塩きり麹を混ぜて、ゆで汁で水分調整。

消毒した容器に入れて、ハイできあがり。熟成を数ヶ月待ちましょう。


参加者それぞれ、聞きたいこと、知りたいことは違う。今日、私の目標は、楽しい時間に仕上げること。
個人が安心して進められるように、一律の説明を繰り返すのみならず、個人の歩幅を確かめるように、注意をはらう。

人と人は、目には見えないけど、同じ空間で過ごせば、その雰囲気が共有される。

「星の王子さま」に出てきた有名な、あの言葉。
・・・大切なものは目に見えない・・・

それは、心で感じ取り、心でキャッチする。

参加者であり、いろいろなお手伝いまでご協力いただいた皆さん本当に、ありがとうございました。

想像力が、活躍するとき

何かの作業をしようとするとき その方法が書いてあったとしたら その説明を読んで 「ということは…」 という思考が働くだろうか?
 例えば 料理。
必要材料と、その量、作り方を理解する、とは、どういう事か?
材料が あるかな?
 調理道具はあるかな ?
いつ作ろうかな?
 いつ食べたいのかな?
など、 それぞれに段取りがいる。

ここで 必要な能力は 想像力である

「 ということは? 」 という疑問は 何においても 準備するということにつながる 「それがそうだったら その次どういうことになるのか ?」
それって 自分はどういう働き方をしたらいいのか?
何が足りなくて 何が足りているのか?

私達は 日常 、物事をあまり深く考えなくて良い生活に、なってしまっている。

想像力を 欠くと、 事が起こってしまってからあわてがちである。
何事にも、事前準備が物を言う。ただし、これはあれこれと心配をするという意味ではない。
想像のレパートリーは、柔軟に用意されるべきである。
もうひとつ、想像を高めるために、目から入る情報を伴わせれば、理解も早くなる。文字と、映像そこに、意欲が入ればまず、スタートラインに立っている。

新しいチャレンジに、飛び込むとき、意欲満タンで踏み込んで欲しい。

飛び込まれた方は、人それぞれに違う、疑問点・不安箇所という、絡まった糸を、ほどくようにあれこれと惜しみなく説明を加えてゆけばよい。
聞き返し、確認・質問何でもござれで。

一番最初のこの段階を丁寧にすれば、後は本人が自分で考えだす。

なんてことない、「ということは」を頭の中で繰り返していくこと。
これが 自然な 思考の 誘導につながっていく。

すると 身の回りのこと 何においても「ということは?」が 意識にのぼってくるから 、次の展開に想像が働く 。「考える」とは技術である 。この技術を磨く事が、今の私の現在進行中トレーニングである。

この「ということは?」を、意識するようになって、目の前の仕事の処理が早くなった。

一部始終と、 言うわけではないが 目の前に来たやるべきことの処理の仕方がとてもスムーズで早くなった

このことに気づく前は、目の前の思考の準備がスタートラインに立っていなかったことで 、 もたついて事がうまく運び込まないこともあった、 スムーズなスピード感に欠けていたのだ。
考え方の癖付けが、技術アップへ、つながる。

中学家庭科の課題:みかんの皮をむいて中身を取り除き、皮のみで、いかに原型に近づくか・・・?


2016年1月22日金曜日

今という、瞬間をつかむ

準備を重ねて開催された、小学校の学年活動は、無事終了しました。
出来上がりパターンは、3パターン、どれにする?

自分のこだわりの位置を探して、まず縫い付ける

子どもたちにとっては、慣れ親しんでいるおはなしかい開催時、「お決まりのアレ」と言われるほど、定着したかくれんぼ人形。
手に取る機会はほとんどなかったものを、いきなり製作することになり、材料を教室の机に並べる段階で、気になるようでまわりをウロウロ…時間短縮のために、休み時間に作り方を張り出しておくと、勝手に読んで予習してくれている。
興味があるからだ。

「作りたい衝動」に直結するしかけ作りは、準備する方は楽しい。どこから見ても、何を手にとってもいい状態にしておく。材料は、あらゆる刺激をあたえるパーツを、ふんだんに用意しておく。


そして、いざ製作に向かう子どもたちの姿は、本当に真剣で、なおかつ楽しそう。
更に、子どもの発想が柔軟で、力があることを証明する時間でもありました。

大々的にみんなの前に出て作品の発表 はしないものの、こっそりとできた作品を見せて、「工夫しました」、と静かにその自信を見せてくれた子、出来上がった瞬間の、「できたー」の気持ちを作品に向けるまなざしを、そっと見せた瞬間、格好いい!
そんな我が子らの瞬間を、逃さないでいたい。

後半に、この人形を登場させる際、私の心得とする言葉、
「一期一会」を紹介し言葉のプレゼントをしました。
世界には何十億人の人がいる。
その中で、私たちが出会える人はほんの、
ひとにぎり。
たから、そんな「今」を、
大切にしてほしいと。

私たちは過去の記憶にとらわれて 生きていくのではない 。
これから起こりうる 未来を不安とともに 生きるわけでもない。
たった今 、目の前にいる人 との縁を 心で感じて 、その瞬間を 生きるということが 「今を 生きる」 ということ。

それが、連鎖して人生がつくられていく。




2016年1月17日日曜日

目先の 小さな努力

何においても 「できた 」という小さな経験は、大切だ。 それは子どもであっても大人であっても 。
そして、 人それぞれにそのハードルの高さは違う 。違っていて当然だ、 呼吸する速さが人それぞれ違うように...
集団に放り込まれると どうもこの感覚を忘れてしまう。
忘れざるをえないのかもしれない。

娘が小学校一年生の時、 娘にとって情報の多すぎる日々にについていけなかった現実に、追い付こうと焦っていた私は、それが苦しくなりついに
「この子にとって今日という日は、何が必要なのか…?」と、突き詰めて考える瞬間があった。

結果、「今日も、できなかった」という経験よりも、「今日できた」を、積みたい。
と、担任の先生にも、話した。

それからは、私も楽になり、当時の担任の先生のご配慮・手助け頂いた。
娘も、その日に出た宿題に何日かかっても、
「・・・できたら、(学校に)持ってく!」と、言いきった力強いセリフに、頼もしさを感じた。
たから、少々ためた宿題プリントがヨレヨレになっていても、必ず先生に出していたようだ。

「出来た」が積み重なれば、 大きく成長した ことになる。

毎日、 1週間 、1ヶ月 、1年・・・。 少しずつ時を刻んで 自分が成長していく。

その日に小さな「できた」という感覚をもつことは、 小さな成長した自分を「認める」 ということだ 。

自分が 小さな成功を遂げたのに、「 まだまだ、できていない」「 全然できていない」と 、自信がない上に、この思いを強く持つことは、頑張っている自分を否定することになる。
自分で自分の芽を摘みとることになる。
この習慣を続けていけば、いつまでたっても、「成長しない自分像」が大きく膨らみ、新しい一歩に踏み出したくても、踏み出せないまま、自分はできない人間だと、イメージで結論づけてしまう。


小さな努力をし、小さな「できた」という達成感を喜ぶ方が、得をする。

 なぜならば 人それぞれ同じハードルでいる必要は無く、確実にこれで、進んでいっていいんだと確かめることができるから、自信となる。
  他人とくらべる自分 、周りの目がきになる自分、 これは自分の成長にブレーキをかける。
 出来ているのに出来たと思えない自分がいる。

まだまだ先があるのを分かっていて、今日を認める応援を、小さな芽は必要としている。

経験のあるものは、半歩先に進んだり、半歩後ろに回ったりを繰り返して、見守っていく。
そうしながら、自分も経験と学びを繰り返してきたことを、振り返り成長を、認める。


人は、いつでも成長のチャンスがあるから、生きていることが楽しくなるんじゃないかな。




2016年1月13日水曜日

学年活動!

毎年、小学校で学年別に親子活動が行われます。今年はクラス委員というお役目を頂き、この学年活動の企画に参加することになりました。
共に、おはなしかいで活動しているメンバーが、主任となっていたこともあり、おはなしかいで登場するかくれんぼ人形を作る案が急浮上し、実行することになりました。

わらべ歌にのせて登場する様子は、過去ブログ「スピード時代と、一期一会」で紹介している、あれです。
うたう歌は、佐賀のわらべうた「ずくぼんじょ」。つくしの歌です。
だから、このかくれんぼ人形のお名前も子どもたちの中では「ずくぼんじょ」と、呼ぶ方が馴染み良いようです。
子どもたちは一年生の時から「図書の時間」
で慣れ親しんでいますが、実は保護者のなかで知ってる人は、かなり少ないのです。
それは、それは、問い合わせもありました。
「ずくぼんじょを作ろうって何?調べたら、わらべ歌としか出てこなかったけど…?子どもに聞いたら、komiyaさんがやってるよ、としか言わない。さっぱりわからん」とのこと…。
…そりゃそうだよね。

子どもたちだけが、よく知ってる物を親子で作るって、何だか面白い。
これは、子どもたちの立場も考えて、しっかり説明役を引き受けなくては、と意気込んでます。
只今、予備含めて85体分の材料を準備中。
下準備をしてあるので、当日はかがり縫い中心の組み立て作業です。また、いろんなパーツを使って飾り付けも楽しめます。

今は、小学校で作る作品は「製作キット」が、あらゆる教科に用意され、およそ失敗のないように、ありとあらゆる準備や便利なパーツが使われています。?
そんな中、糸と針を使って繋げていけば、形になる。基本パターンは、簡単なので後はあなたの工夫次第!おうちの人と考えましょう。と、高学年の知恵と想像を刺激して、楽しく作品が出来上がればいいなと、思います。

このお人形は、私にとって「一期一会」の精神を思い起こさせてくれます。
「今」という、この時間・瞬間は一生に一度だけの機会と心得て、それに専念するという意味です。人との出会いに手抜きはありません。これから、あらゆる出会いが待っている子どもたちに、そんな思いを伝え、受け継がれていってほしいものです。



当日、小学校は1日参観日、そんな日に一緒にしちゃう学年活動、他学年のお母さんも、知ってる人にとって、気になるこの企画。
どんな作品が、出来上がるかお楽しみに。


てるてる坊主85体、おしくらまんじゅう











2016年1月8日金曜日

振り返ってたしかめる

何かを決意して練習をする。
 練習を繰り返せば、必ずその人の身に付くのは、たしかである 。
できないと思ってへこんでいた時期 があったとしても、練習のやり方 さえ分かれば「 練習中 の自分は いくら 失敗したって うまくいかなくったって、何故か心が平気だ 」 うまくいかなかった理由を納得して分かるからだ。
 それは言葉で表すことができなくても感覚で分かる。
到達した状態を結果として、そこに 自分の視点が向くと、 今できていないことに焦点が当たることがない 。つまり、今が大変だ めんどくさいと思うことに焦点が当たれば、起こした決意から逃げ出したくなる。
自分が出来た状態に視点をむけたならば 自分の思いがかなった時の状態を忘れずに「 練習」 という過程を続けていける。
その状態を保たせる技を、自分なりに磨く。
 うまくいっているかどうかは 自分のたどってきた道を振り返った時に、 その一歩が初めてたしかめられる 。
昨日と今日、同じ 時間でも 練習してきた道ができている。
同じ日は、一日もない。
前は出来なかったことも、今日になって出来る事だってある 。昨日はピンとこなくても 今日は 何か掴んだ感じがする 。そんな気持ちが溢れれば それは自分で一歩を踏みしめた ということになる。 この一歩を踏みしめる感覚、 「達成感を感じとる感覚」だ。

素直に頑張るひとは、周りから見ても応援したくなる。
それは、将来その人の魅力として、輝くことになる。

今日は、
いなり寿司だ。