2017年1月29日日曜日

その指し示す方向

子どもが大人への階段を一歩ずつ進もうとしている。

子ども社会から大人社会へ移行しようとするとき 、多くの不明瞭な点や 、判断材料の少なさにより、迷い道をぐるぐるまわること になる。
 やっと正しい答えを見つけだし 、失敗しながら、 経験を積んで大人になるには、あまりにも時間がかかりすぎる。
 その理由に「自分に指針がある」という一本の筋がなかった。

何を考えたらいいかわからなかった。 しかし今は、私から伝えられる指針がある。

 人は何のために時間を使うのか?
何のために生きていくのか?
 時間は有限であること、それはどういうことなのか?
 人にとって 必要な選択とは何なのか?

 その指針を示せる 経験者、大人が、私である。

「そんなことを前もって知っていたら悩まずに済んだよ ~」と言われるより、生きる原理原則を知って、「だから、こうなのか~」 と、

たとえ失敗しても、
納得しながら 、自分のアタマで考えて、成長してほしいと 願う。

失敗から学ぶには、その悩み方と立ち直り方を知っていなければ、学べない。

それが技術である。

技術は、技を磨いて試す。そしてまた技を磨く。

日常にあることから、例えを拾って、相手にわかるまで歩み寄る説明には、技術を必要とする。

そして、何を示しているのかが、必ず見える時が来る。
その時彼は、二次曲線を上がりぬいてゆく。


2017年1月28日土曜日

自分で育てる必要のあるもの

私は幼い頃から 子どもは大人になれば完全体になるものだと思っていた。
だから大人はなんでも知っていて、 大人になれば判断が正しいものになるのだと思っていた。

そして、大人になった。

  自分自身の中で育ったものがあるが、昔思っていた完全体ではなかった。
そして自分の中の育ちには、良くも悪くも育っているものがあることがわかった。

よく育っているものは、自分が自分らしくある方向で表現される。


しかし良くないものも、確かに育っている。

ほとんどの場合は実感できない中に埋もれて、よろしくないタイミングで、表に現れる。
抑えがたき、みっともない感情がそれだ。

さらに、子どもの時のまま育っていない、大人になっても未熟で放っておかれたままになっているものもある。

そんな自分の中の、棚卸し作業をすることなく、

事が起これば、おこりっぱなし、時がすぎれば解決するさ。
まあまあ、仕方ない仕方ない、・・・あきらめも肝心。

要するに、行き当たりばったり、右往左往。


これを、繰り返して育ちあがったものが、今の自分。

逆に考えるなら、育てたいものはこれから育つように意識すれば、育てられる。
どうやって?

自分は、どうなりたいか?
変えたい、変わりたいと思うのか?思わないのか?

自分の中でそんな問いかけが積み重なって、自己サーチがはじまり、

ようやく「縁」が生じる。





萩の明神池で、鳶と遊んだ。か・な・り、ハマる。




心の若返りという、明るい未来が今の準備で起こる。


2017年1月22日日曜日

思うままの生き方を邪魔する

誰にでもあるもの。
知らず知らず、繰り返すことにより習慣化された
言葉に、すべてわかりきったようなイメージを染み込ませている。
それは、時に身勝手で気分屋
他の解き方を介入させない
結論は、あなたの頭の中だけで先に、出ている

そんな間違いに気づくチャンスは、自分の「これが当たりまえ。」が、ひっくり返った時。

自分に確かな方向を掴みかけたと思いきや、不必要な固定概念が騒ぎだす。

それは、今までと違う選択、やめておけと言わんばかりに押し寄せる恐怖の塊、固定概念。


何度と味わったことがある
ねじ曲げられるような気持ち悪い感覚
不安と恐怖が押し寄せるから、その輝きにのばした手は、何もなかったかのように、ひっこめ、その記憶を消す。



そんな麻痺にいつまで付き合うか?
人生は有限、目先に追われるまま、自分の、「人生を楽しむ」とは、いつ実行されるのだろうか?
固定概念かあるかぎり年を取りながら、苦しみは取り除かれるどころか、増大して行く。
自己処理していない問題は 自分の中に 保存したままだ 。

幸せを、自分から遠ざける「幸せ回避症」。
嘘のような、本当の話。



そんな自分のバージョンアップをし、人生を楽しむ原因を、一つ一つ積んでいく。

今年の我が家の味噌作りは、小豆と大豆二種。


2017年1月21日土曜日

子どもが持つイメージ力

体育が苦手な娘、跳び箱やマットの授業で困ったと言う。
そりゃそうだ、跳び箱、飛んだことないね。
マット運動は、未知の世界。

先生も困り果てたようで、「跳び箱は何段なら跳べるか?」と聞かれて、答えられずちょっとさみしい気持ちになったそうな。

そうだね~じゃちょっと練習してみよか?

机に両手をついて体重をかけて楽しんでいる姿をよく見かけるから、させてみると喜んでする。

「そうそう、それそれ、跳び箱で使う動きだよ。」
「え!? そうなの~?」

よし、かかった!いざ、彼女の解決の糸口のはじまり。


それから、我が家にあるベンチを跳び箱に見立てて、何回かシュミレーションを繰り返す。

「あのね、飛ぶためには頭の中でイメージをしておくことが大事なんだよ。こんな感じ…。」
タイミングを合わせて、台に乗っかる練習をした。
ゆっくりかつオーバーリアクションなデモを見せて、少しずつを繰り返す。
手応えを得て、その日は終了。

次の日、先生に「飛び乗れるところまで出来たよ」と報告し、先生側も次の準備が決めやすく、娘もつまずいていた会話の続きが成立し、満足だったようだ。



何か恐怖心から、その一歩がなかなか踏み出せないとき、違う切り口から入っていけないかと、探す。
それが、イメージを使うことだった。
素直な子どもは、そのままのイメージが「出来るような気分」を呼び起こし、やる気が湧く。

また、本人も上手に出来るお友だちを何回も見ている。その記憶を呼び起こして、 どんなイメージを持ったらうまくいくのかな?と考え続けたき「よし!」と閃いた声を出したことがあった。
私はその「よし!」という言葉に可能性を感じ思わず、「よしって言ったな〜」と、
もう一度練習に誘い、大成功したマット運動の前転。

先日、参観日で担任の先生に「前転の件、助かりました〜。」と、声をかけられる。




そう、そのタイミングにのっかる事が、ポイントなんだよね。

タイミングを知るものは、
やはり共に生活する家族。
 これからは心と体を上手に使って 成長を助けていく子育てが求められる。
雪が降りました。

2017年1月12日木曜日

未来を見続ける


些細なきっかけから、縁あった今回の我が家、家族増員。
本日無事終了し、久々の日本観光を兼ね、
息子をお迎えに来られた、お母さんに引き渡しました。

お父ちゃんも、今日は仕事お休み、手巻き寿司パーテイー。


 玄関先で、はい!我が家の伝統「くす玉割り」
過去10年、我が家で子どものお誕生日に毎回登場していたのですが、この度「ありがとう」バージョンでで、中身を作り直しました。

彼にとって短すぎた留学期間のようですが、その中で「しっかり、やりきった」という様子が、お別れの際によくわかりました。

やりきった思いは私も同じ。
彼の「日本の標準語の使い方を、もっと知りたい」に、こたえること。
毎日のお弁当レシピのレパートリーに、応用をきかせること。
タイムスケジュールの、段取りを組むこと。
いつも、一番いいと思う方法を、よく考えました。

視点は、常に未来を見る。
今日済んだことよりも、明日はどうしていくか?に、焦点を当て続けると、「やりきった」満足感が、押し寄せてきました。

お別れの際お互い、
夜、暗闇の中・・・、「わはははは〜楽しかったー!」と、大声で笑っていました。

「寂しくなって、泣きたくなるんじゃない?」と、言いたいところかもしれませんが、

「あの時もっとこうすればよかった」という思いより、
その時、一番良い選択で、できることに知恵を絞って時間を作ったことは、

実りある結果を導き、喜びの最高点に辿り着けたのです。

子どもたちは、常に未来を見ている。

私達はそれに習って、未来を見続けていく感覚を、磨き続けていきたい。





2017年1月3日火曜日

お年賀

新年の心意気があちこちで、聞かれます。
息子から、年賀状が届きました。同居してるけど…
今年は飛躍の酉年でした、力強くてとても目を引く渾身の一枚です。
小学生の頃から、塗り絵が大好きで、その塗方も立体的になり、ファジイな色合いを含む水彩色鉛筆を手に入れてからは益々、その上達の道をかけあがりました。
夫も私も、絵を描いた記憶はありますがこの時期にこれほどまでに打ち込める状況だったかというとそうではありませんでした
しかしその記憶が残っているせいか、彼の気持ちは十分わかります
私たちにできる事はその流れを止めないように育てられたらいいなと思うのです。

改めて酉年。大きく羽を広げて自分の思うところに思い切って飛び進んでください。
応援しています、ありがとう。

2017年1月1日日曜日

2017始まる

冬休み恒例の宿題「書き初め」、お題は自分で四字熟語の中から決める。
娘、
「自分がいいと思って、書きやすいのを選ぶ〜」と、出てきたのが、「破顔一笑」。

なんて、あなたにぴったりな状態を示す言葉なのかい?


娘は、「これしたい!」と思うことを一途に努力し、少しずつできてくる様子を喜びながら、思う結果になり、破顔一笑する。

世界共通のコミュニケーションとも言われる笑顔が、我が家で一番上手である。
笑顔が上手と言うのは第三者から見た状態、本人は自分が笑顔が上手なんて意識して、思っていないかもしれない。

しかし、彼女はたやすく素敵な笑顔を作り、そして家族にも、他人にも影響を与える。


自分から生み出すものは、他人と同じにはならない。


ソレが何なのかは
自分自身が1番知っていているはずであろうが、その認識に達するまで少し時間がかかる。


今年は、自分を表現するために2017年という時間を使っていきたいと思う。
自分がこの世に生まれてた証であり、その記録を残すこのブログもその一つである。

家族それぞれ笑顔であれる生活、そこから

内から外へどんどん広がっていくコミュニケーションがあるといいなと思う。
時代が急速に変化している今、遅れを取らずに、どれほどまで自分の感性を磨きあげられるか?
磨けば磨くほど、面白くなっていくものは、自分自身なのである。

あなたにも、まだまだ磨けるものが
たくさんある。


今年も、〆はお父ちゃん作;ぶりかま、里芋煮、煮しめ、酢の物