2016年12月31日土曜日

今年の私

もうすぐ2016年が終わります

 新しい年を迎え、一年の計を立て その1年が経った後に振り返る。

 あらゆることが起こりましたが、実感して納得したことは、原因と結果の焦点の当て方でした。

考え方の技術を学ぶ上で、結果思考型原因追求型があります 。

結果思考型は、結果しか見えない考え方です。

例えば、
もし、○○が手に入ったら幸せになる
     この資格を取れば、いいだろう
    結婚ができたら私は安泰だろう
○○に行けば、大丈夫
○○に聞けば大丈夫
こうしてればいいんでしょ、こうなればいいんでしょ    

などなど、結果にのみ焦点を定めて思考することです。


それに対し
原因追求型とは 、

結果があればそのための原因が必ずある。その原因を探り、自分にとってその結果を導く原因とは何か?を考えることに、焦点を定めます。

そうすると自分に質問を与える必要があります。
「そのためには、何が必要か?」「そのためには・・・」と繰り返しながら、最終的に結果に近づいていく考え方を言います。



結果志向型の場合は
イメージや、それまでのプロセスはぼやけています。
本来自分がやるべきことを、どこか他に逃げ道をつくったまま、結果がほしいのです。
そして、現時点の努力には、目先の辛さに焦点が当たるため、嫌々ながら進めたり、三日坊主になることも多々あります。



しかし、原因追求型となると
自分に自問自答を繰り返し、自分に取り入れていくべき要素を、小さな階段を積み上げるように行動と共に、クリアしていきます。
そして上り詰める先に、常日頃から、イメージ する結果が待っているのです。

つまり、
結果に焦点をあてたイメージを持ちつつ、
結果に見合う原因をつくりだし、自分を行動に引っ張っていくのです。




こんなこと、数年前まで、はっきりと知りもしませんでした。
今となっては、「そうか、そういうことか!」と確信をもって、自分で進んでいけるのです。

自分で進んでいくとは、自分で未来をつくり上げていくこと。

これはまだまだほんの一部の学び得た理解だけど、
知らなかったことを知ったことにより、自分の本当の一歩の踏み出しかたが、わかりました。

「無知は不幸ですよ。」と、縁あった人が教えてくれましたが、
その言葉の重みが、当時の私には想像できませんでした。

自分に必要なことは、素直に知ることから始まる。
それは、今まで自分が間違って捉えていたことを、素直に認め、捉え直し、知ることからだと思う。そう聞いても、最初の頃はそれには触れたくない気持ちが、無意識に湧いてくる。
聞いたふりをして、聞かなかった事にさえ無意識で出来るほどだ。
私達は、そんな選択の自由を持っている。

~義をみてせざるは勇なきなり~


些細な一歩と、自分が学び進んだらどうなれるのか?イメージを持ちつつ、前進あるのみ。




お世話になっているTさんの畑で、里芋を収穫させていただきました。

早速いも炊き
親芋に小芋がぎっしりついています。

2016年12月21日水曜日

興味を引く瞬間

小さな子どもに、おもちゃを見せる。

そんなとき、あらゆる理由が大人に潜んでいる。

静かにしてほしい
遊びに夢中にさせておきたい
集中する時間を作らせたい
喜ぶ姿をみたい
どんな風に遊ぶのか?

自由に遊ばせたいなら、放っておいて何に興味かあるのか、試したいところ。

しかし、ここぞとならそこは外さず、狙いを定めて、丁寧におもちゃの入り口へ招待する。
ここを失敗したら、無垢な心と交信できない。

その子に合いそうな、とっておきの一つを選び
私に対して違和感がない関係、・・・とは、いたってありのままで自然。

大切な一つを見て欲しい気持ちを、送るように
丁寧に、ゆっくりとおもちゃを扱ってみる。


大人は、そのおもちゃの結論を知っている。
そこを早く見せたい気持ちを、全面に出して「ほらほら、こうなるよ。」と、先に扱いきってしまったら

それが一番がっかりだ。


十分認識できる早さで目の前でみせる・・・・。

私の視線はただひとつ、相手の目の動き。
視線の先を追わず想像しながら、自分の手元のおもちゃをゆっくり動かす。

それから、聞いてみる
「やってみる?」

視線を外さずに素直に、手を伸ばしてくれる。 可愛い瞬間だ。


そんなチャンスが私には、自分の子どもにも、他人の子どもに対しても、また年齢を幅広くしても、幾度とあった。

その楽しみ方がようやくわかる頃、また新たなステップがやってくる。

私にできること。
形はモヤモヤしてるけど、人の心へ、何かを届けて喜んでもらえることを。
今年もお気に入りのリースを作る





2016年12月17日土曜日

陽気なひととき

今まで生きてきて、
貴重だったなと思うことは、

 陽気な人に出会い、陽気な時間を過ごし、陽気なエネルギーをお互いが発すること、
だったと思う 。
その時間が とても充実していて刺激を受け、また発見することがたくさんあったからだ。

一人でいるときも いいけれど そんな陽気な空間から生まれてくる力は、目に見えないけれども そこにいる人達にも、大きな影響力を与える。



 長らく活動を共にした 仲間が転勤により お別れをすることになった

だから心ある仲間でささやかなパーティーを したのだが 、陽気な人達のアイデアは、 やっぱり 楽しいサプライズパーティーとなった。
私は、陽気な盛り上げグッズお任せの係、
めでたいときはお手製「くす玉」、マイクを、持参。
(どれも今まで我が家で大活躍していた小道具です。)

ありがとうの気持ちを、私なりに伝えるなら、その人に最大限にスポットが当たる演出を考えることが、私の役目だと思ったからです。
短い時間でしたが、こうして今も集まれた人たちのご縁の感謝と、これから旅立つ応援の意味をこめて、手作りの料理や飾りつけ、音楽など、心のこもったひとときでした。

私達は、同じ日は過ごさない。
毎日、何かを感じて、何かを考えて、過ぎていく時間のどこかに、「自分」という場所を作っていく。

「自分」の存在を、この世に何かの形で残したいから。

それが、陽気な時間を過ごすことで生まれるなら、その人らしい一コマが出来上がる。

これらのコマをつないでいけば、どうなるだろう?

一人一人の存在には、価値がある。









2016年12月11日日曜日

ありがとうの、伝わるとき

「休日のお昼ごはんは、兄弟で協力して、簡単料理作ってね。」と、ちゃんぽんめんをお願いして、仕事に出かけた私。
帰ってきて、キレイに片付けまで済ませてあったので、娘に聞いたら、
いつも「ありがとう」って言ってくれるから〜、と
お仕事をしてくれていたそうな。

鶏が先か、卵が先か、とあるが、何か手助けしてもらったり、気遣ってもらうときは、自分も助かりそれがあったおかげで、進んでいけたり、解決につながったすることは日常、たくさんある。

その度に、「ありがたい」と思うので、それは思うだけでなく、言葉にして相手に届けようと思う。
届けようと思うと、ちゃんと届くように、丁寧に伝える。

「ありがとう」の一文字ずつが,とても大切に思える。

   よく聞き取ってもらえるように、
   お礼の気持ちをこめて
   プレゼントを渡すように


そんな何気ない生活のひとコマだった。

感謝の気持に応えてくれる頼もしさを、みせてくれた。
成長とは、とてもたくましく、優しい。


本当に、心から、いつもありがとう。

沖鯵の煮付け、お父ちゃん作

2016年12月7日水曜日

日本語の勉強

少年老いやすく学成りがたし
一寸の光陰軽んずべからず

(我が家の留学生)少年が、志をもって学んでいる。
その方法は自分で探る必要がある。が、その環境を作る方となると、私達が教科書のかわりにもなる。

ありのままの日常を、示せばよいのだろうが、
ついつい相手に分かりやすさを考えすぎるあまり、片言みたいな変な日本語や、英文に変えてしまう。逆効果だ。

ここはすべてが学び、そのお手伝いならば、日本語を、噛み砕いてでも正しくお話することが私たちの役目なり。

私たちが何気なく使っている日本語は、留学生にとってはわからない単語が並んでいる。
大体わかったとしても、ニュアンスを伝えるに大事な単語で、首をかしげてしまう。

そこがこちらの言わんとしているところ、
お手軽なインターネットパソコン日本語変換辞書を手元に置いて、わからない単語をすぐひけるように準備を整えてから、食後の日本語タイムを設定するようになった。

今日あったこと、友達の事など何でもいいから
日本語にして会話をする。

彼は、つとめて日本語で話そうとする。その姿勢が、すごいと思う。
だって、目指すは「日本語ペラペラ」だから。

本人には自覚が無いようだが、日に日に日本語が上手になっているのがわかる。

5ヶ月という短い間日本に滞在し、学び吸収できることをすべて持ち帰られるよう、できるだけのことをしたいと思うと同時に、我が家族中が刺激を受けている事は間違いない。

息子と、歳が一つしか違わないため、お互いが交流したいようである。
受験生で頑張っているなか、その時間をうまく使って。

一寸の光陰軽んずべからず

とは、彼らにとってふとした僅かな時間にも、自分の学びにつなげることができる。
そして、その成果はきっとずいぶん後になって現れるのでは、ないのかな?

そんな、様子をそばで見ることができ、

娘は、ここんとこ苦手だった早起きが、できるようになった。
時間の使い方も、主婦のようである。

夫は、扱える英単語、増えてるよな〜。自分が、留学したいって言ってるし・・・。

私は、体力消耗と睡眠不足で、数年ぶりに風邪を引いてしまった。
しかし、峠もこえ、後半また行くぜーと、確実な睡眠を自分に約束し、走りだした。
卒業カウントダウン11日前を担当の息子、テーマは「飛翔」作成途中経過より。

2016年12月1日木曜日

I'll Always love you いつも大好きだよ

小学3年生、図書の時間。
おなじみ、おはなしかいの時間がやって来ました。
年に数回の貴重な時間に、我が家の留学生さんは、本日創立記念日でお休み・・・ということは、

「さあ、小学校へ一緒に行こう!」

と、一日読み聞かせPTAグループになったのでした。校長先生にご挨拶を済ませて、さてと打ち合わせ。

すると、メンバーの一人が持ってきた絵本、「いつも大好きだよ」は、
「これ、中学校の娘の英語の教科書に載ってたよね・・・。」

あら・・・、そのまんま読めるじゃない。

あわてて家から持ち出し、一回読み合わせをして、本番へ向かう事になりました。

内容は省きますが、そのタイトル通り、

命ある間に大切な存在へ、大切な気持ちを、言葉と共に送り続けることを、この本が教えてくれていました。
日本語と、英語を交互に読み進めましたが、
3年生の子どもたちにとっては、現役英語を耳で聞くことに集中し、とても新鮮だったようです。

私はというと、このお話に感動と納得、心を伝える手段、「言葉」の大切さを改めて感じます。

分かっていると思って言わなかったことがある

分かっているだろうと思って行動しなかったことがある 。

後になって 真実がわかっても 過去のことを悔やむに悔やみきれない 。

その時、その瞬間、忘れてはいけないこと。
ここぞのタイミングで、沈黙または、無関心になってしまうのは、何故なのか?

「いつも大好きだよ」と、そんな変わらないあなたが、より深く愛される。





2016年11月30日水曜日

親孝行

一週間ほど、実家の両親が遊びにきていました。というよりは、お手伝いに来てもらいました。
我が家は、急に7人家族になり・・・

なんだかお台所仕事など、わんさかあるが、とても楽しい一週間を過ごしました。

しばらく、実家に帰ることもなくなってしまいましたが、我が家の引っ越しと、留学生さんのダブル話題にて、今回は応援を頼んだわけです。

大勢の家族は、久しぶり。
老夫婦生活から一転し、本人たち曰く、

「ボケる暇もないほど、忙しい。テレビも見ないし、薬飲むのも忘れる・・・」だって。

どれも、いらないんじゃないの〜?

確かに、今までの家事量からいくと、産後間もない頃に次ぐ仕事量か。

段取り良くこなしていく、ぼやぼやしてたら、うっかりポンで大慌て。


そのかいあってか、リフレッシュができて、更に「お金では手に入れられないものが、ここにある」と、喜んでくれた。

生きているうちに親孝行できたのかな、と思う瞬間だった。

そして、お金で買えない大切なものとは、「心の若返り」だそうである。

人は、人同士で大きく刺激を受ける。
良くも悪くもあるならば、良くなり、若返りが起こった両親は、
いきいきして、楽しい刺激をたくさん受けていった。

なぜ今こうしていられるのか?
過去を紐解いていくと、全てが偶然ではなく、必然であったことに気づく。

誰にでも、生きてきた全てに、無駄はない。









2016年11月28日月曜日

行き当たり、ばったり計画?

近所のスーパーレジ待ちで、ばったり出会った、実父にそっくりの近所のおじさまは、
手先が 器用でチャレンジ精神たっぷり。おもしろキャラで、やるときゃやる。
今までにあらゆることを助けてもらいながら、地元に馴染んでいく私達家族の様子を側で
じっと、見守っていてくれた。

「来月、地区の餅つきですね~留学生さん連れて行きますね~。」
「おっ、それそれ、今回は何でまたこんな話になったんか?」
「あー、それよく聞かれるんですよ~、じゃ今度のもちつきで、その話をしちゃいましょうかね。」

「それがええね、(みんなに説明するなら)話も一回で済むしね。」
「じゃあ、私と掛け合いでしましょうよ。」
「おう。ええよ。」
と、この突然の計画が行われたのは、11月の満月の夜だった。



もうすぐ、地元恒例の、もちつき行事が開催される。
「今年もみんなでお食事をする前に、口の中にまつわるお話をしてね。」と、声をかけられている。

今年で3回目になるのかな。毎年約80人近くが参加するこの行事にお馴染みとなり、さて今年はどんなお話にしようかと、構想中。

と、このタイミングで入手したお口の体操。よし、これいこか!食事前にピッタリ。

「歯科衛生士といえば、歯磨き」と説かれる時代は、もう古いのかも!?

口からはじまる健康を考えれば、歯ブラシを持つ前に必要な話は、たくさんあるのだ。

そりゃやっぱり、
笑うことでしょ、口を動かすことでしょ、知れば知るほど目から鱗を落とすことでしょう。








2016年11月16日水曜日

若返っている人、紹介

40代になった時に、出会った学び。
これは、私にとって衝撃的でした。
どうして衝撃だったかというと、

それは多分勉強しなかったら、どうなっていただろうか?
この部分を考えれば、恐ろしくなるくらいだから、今思えば「あーよかったな」と思う。

おそらく、学ばなかったらその後考えられる生活で、きっと言い訳や考えていたことがある。

もう歳だからかな、
だって、面倒くさいし・・・
そんなことまでやりたくなーい
もっと楽に、安く!!それが生活するのに一番大事。
自由な時間がないかな〜
あ、子ども帰ってきた・・・、あ、ご飯作らなきゃ、え!?今忙しいよーう、いそがしいって!!


と、心を亡ぼしにかかっていたんじゃないかな・・・。


いや、そーじゃないよ〜。全然解決しないまんま、毎日終わっているよ〜。
「子どもと共に、親も成長する。。」ってよく聞くから、そのうち・・・?なるようになるのか・・・??と、思っていたら、そうじゃなかったよ。
この言葉をきいて安心している場合じゃなかったのだ。私には、完全な落とし穴だった。

時間を重ねて生きていくってことは、その瞬間ごとに、自分の頭の中に何かを積み上げている。
その何かを知りさえすれば、今後の自分をどう取り扱えばいいかが、わかってくる。

そんな学びを、私は40代から始めたのだ。
科学的根拠に基づく、法則性を頭に入れる学び。



http://www.fuminn.com/list/2016/11/post-212.php

このページで紹介されている、アメブロのハナミズキさんは、勉強仲間であり、人生の先輩だ。
このところぐっっと、頭の中が若返っているような気がする。

人生いつでもやり直せるとは、このことをいうのでしょうか?

この先輩お母さんが、子育てを失敗したと嘆くお母さんへ、呼びかけてもいるようです。

そして、どう考えれば生き方が変わっていくのか?という懇切丁寧なプログラムを、毎日聞いて学び得たことが、ブログに書かれています。

え、毎日勉強!?めーんどくさーい!(・・・ほらほら、聞こえてくるよ。)
勉強=つらくて、もうやりたくないもの、やっても無駄
と、私達が学んだのはいつなのでしょう。

勉強=「その先が気になる、面白い学び」だったら、どうでしょう?
時間をかけて、ゆっくり育てると、ある時急に芽が出る時が必ず来る。

そんな、芽を見ながら、私の芽も育てよーっと。










2016年11月13日日曜日

新しい家族

いらっしゃいました、我が家に留学生さん。
日本へ来て、早2ヶ月。日本に5ヶ月滞在予定。
その続きは、我が家で受け入れです。
この度、初めての出来事、私自身たいして英語が理解出来ているわけでもないのですか、ちょっとしたきっかけからこの話が来たとき、「それ、やってみてもいいな。楽しそう。」と、思ったのが、第一印象。
その後、家族会議、即決。

とうとう、待ちに待ったその日がやって来ました。
子どもが一人増えた感覚、だけど赤ちゃんの様に手がかかる訳じゃない。
が、具合がわからない感じは、新しい命が来たときみたい。

いろいろと、聞きたいことがある。
言葉の壁を超えるというハードルがあるとよく聞きくが、恐れることなかれ、それ以上に人間味で通じるところがある気がする。

何を言おうとしているのか、お互いが知りたいし伝えたいから、歩み寄ろうとする様子は、なんとなく感じでわかる気がする。

気持ちが伝わる感じ。


喜んでもらいたいし、困っていたら助けてあげたい。
それは、我が家族にとっても同じこと。

だから、家族でそろう時間が持てる時は、貴重な集まりの時間になった。

話せば話すほどわかるし、共感できる。
何よりもお互い興味を持っているからこそ…。

「言葉」を、1つでも伝えたくて
英語は話せた方がいいし、わかった方がいいから、今日も英語アプリ5分間勉強をやってみる。
今日のおやつ…の残り。


2016年11月9日水曜日

秋のお祭

毎年恒例、小学校の秋のPTAのお祭りが行われます。
今年もやります、おはなしかい。

年々定着しつつあるこのお楽しみは、その年に集まる図書ボランテイアメンバーで、できることをします。

今年は、我が家に来てくれたオーストラリア高校留学生の協力が得られたため、国際色豊かに楽しめるお話会を構想中。

はじめの一歩は、火付け役が一人。

その後に、他の人が一人二人と参加してゆく、なんだか面白くなってきて・・・最後は全員手拍子の、大宴会状態になっていく、という運びを考えています。

以前はシナリオ通りにしてたものも、シナリオがあるようでない方が、楽しいことに気づきました。

つまり、失敗はない。

言い間違いなんて、なんのその。言い直せばまた始められます。
小道具を落としてしまったって、順番間違えたって、また始めればいいのです。
頭、真っ白になったら・・・?みんなの前なら、独り言は大きな声で言ってしまいましょう。

そこんとこ、問題なし。

見てわかることを、その場で表現すれば、即興のお話や歌もできてしまう。
しかし、ただのおもしろおばさんなのか?と聞かれれば、それはそれは、ちょいとおまち!

学校で習わないことを示して教えるのが私の御役目かもしれません。

失敗恐れる事なかれ。

すぐ後に、どうつながるか、どうつなげるかは、その人の心の準備とその持ちよう。

よく見て、集中して、ヒントが見えたらいつでも、
「あ、それおもしろい、使えるかも。」

何事にも「考える」ことを感じて、前に進んでいくこと。
予定外の事態があれば、そんな時、大人はどうしているのだろう?

そんな大人の様子から、子どもたちは見て学んでいく。

楽しそうに、お話会している家族の一人が、子どもたちの前にいる。
保護者を見つめる子どもにとって、家では見ることのできない一面から、何かを学ぶ。

今年初めての、もちつき。







2016年11月6日日曜日

Family mottes.

家族は助け合うこと
Family  helps  each  other.

家族は誰も傷つかないこと
Family  must  not  injure  each  other.

家族は家族のためにたたかうこと
Family  must  fight  for  my  family.

わが家の家訓、お父ちゃん作。


これができたきっかけは、息子に家族の在り方を解く必要から、「よし、家訓をつくろう」ということになりました。
わが家のお父ちゃんがいつも家族に言い聞かせること、いつか大人になり、父親になる息子に、家族を守る男は、その覚悟がいるということ。

「男はそこんとこ、頑張るんじゃ」と、熱が入る意気込みを、そのまま見せてくれました。


そして、タイムリーな話、
オーストラリアから、高校生の留学生を受け入れ、わが家でしばらく一緒に暮らすことになりました。

受け入れの条件に、家族の一員としてその役目を果たす生活をさせる、ということがあります。


突然こんな話が我が家へ舞い込んできたことも、結局必要だったらからだと認識するようになり、
「出くわしたことすべてを糧にする」
「出逢いは必然である」
「 目の前の出来事はすべて自分が引き寄せている」

のだとしたら、快く引き受ける他、ありません。

「郷に入らば郷に従え」という言葉がありますが、では逆に、家族であるためにはどんな心構えが必要なのかを、考えるきっかけになりました。

だってその後、我が家の家訓が、英語版と共にできたのだから。

今だから、できることがある。
今だから、できたことがある。

今という、チャンスを取り込んで、また一歩進む。






2016年11月1日火曜日

スッキリする自分に会おう

社会人も長くやってると、社会に合わせた自分が出来上がってくる。
時間が早く回るし、コンピューターもどんどん普及されて、機械のスピードに追われ、追い付けと、目まぐるしい。
心の平安など、どこへやらの、日々だ。

それは、自分が望んだ生活だろうか?今の社会に合わせる。

それは、

自分のこと考える時間が無い生活、ということじゃないかな。

そして、あるとき急に不調の波に襲われ、自分と向きあう時間がやってくる。

体のどこかが痛いのか?
心が「イタッ。」と、言っているのか?

それが察知できないまま?というよりは、自分に察知する感覚をOFFにして過ごすことさえ、
人は出来てしまう。

何か大事な決断が必要なのに、
少し長くかかりそうで、面倒に感じる事、
気が乗らないからと後回しにして・・・、
                                                                        そのまま、忘れてきた。


それに甘えた矢先、大波小波がやって来て、
ざっぶ~ん!!と、のまれて、あわててしまう時がある。

こんなことを繰り返した自分には学習が必要であった。

「こうすればよかったのよ。」と聞く前に、何がどう間違えていたのか? に、疑問を持ってみてはどうだろう?

ところで、80をとっくに過ぎた私のお姑さんは、
大変ユニークな人で、やらかしてしまった失敗には、上を向いて「まちーがえ~た!」と、言う。 大抵お義母さんにお小言を言われた時 に、「ごめんね」という表現として使う。
 嫁に来て初めてこの言葉を聞いた時、「そうか、そう言ってしまうのか」と納得した 。
「迷惑かけてごめんね」という言い方もあるけど「間違えた」とスッキリ認めてしまった方が、正しく次に進みやすいことに気づいた。 悪気はなかったのだ。
そして、このお姑さんは私にとって、とても可愛らしく思う、大切なもう一人のお父さんである。

私たちはよく間違える 。

そんなときは、「間違えた」と立ち止まってみる。
そして、どこがどのように間違えたのか、少し前を戻って考えてみる。
きっとどこかで、掛け違えて進んだところを、見つける。
それから、
正しくは「こう!」と、自分に教えたい。次の新しい自分を思い描き続けて。

至ってシンプルだけど、それが間違えた自分を軌道修正する。

やり直しは、何度してもいい、いつしてもいい。


「私がやらねば、苦しくても我慢せねば」
「その一歩が、踏み出せない」
「絶対、無理」


など、あらゆるパターンで自分の領域を囲わなくてもいい。


水がすんなり流れるように、

流れに乗って、その中を舞うようにスッキリした自分で、進んでいこう。

新鮮お野菜がとどきました。


大根葉は、ふりかけに。
見た目一緒、味二種類。ごま油白と深入りの茶色で。


2016年10月30日日曜日

繰り返しの楽しみ

芸術の秋とあって、小、中学校共に、音楽会のシーズンです。

兄弟共に、歌や楽器の演奏に、日々練習を重ねます。

私は、最初の手なれない練習風景から、次第になめらかな音の運びになってゆく様子を、じっと聞いているのがとても好きです。

練習中の音を聴きながら、
いつもつまるところ、音がうまく取れないところは、やはりくりかえして自分に教えこむしかないと思い
ますが、当の本人にとってはとても面白くない作業です。

そんなときこそ、
「何回もやってみて。絶対うまくなるよ。練習してる音を何回も聞きたいから」
と、応援します。

例えば、

うまくいかないところだけを抜き出して、繰り返してみる。それが1小節でも、まるで壊れたおもちゃみたいに、何回もやってみるんよ。
そして、できてきたら、音符を少しずつ増やしてみたら?

と言ってみる日もあれば、

昨日よりうまくなったね〜、やっぱり練習しただけあるね。

というと、「えー、ホント?」と信じられない様子。

聞きながら、私も集中して、メロデイやタイミングを一緒にたどっていくと
わかってくる。

確かに上手になっている。


そんなやりとりをしながら、自分で練習する時間をしっかり持つようになり、

「今日の練習はここまで。」の、区切りが自分でつけられるようにはなれば、うまく軌道に乗ってきている。



このプロセスって、人が何かを習得したいとき、必ずしていることだ。

覚えたいという気持ちがあればこそ、心ある応援と共に成長していく様子は、みんな一緒なんじゃないかな・・・。

応援をして、頑張っている様子から、勇気を与えられる。

私も、がんばろーっと、気持ちのテンションが上がる。

そんな連鎖をたくさん生み出して行ける、仕事をしていきたいと思う。

じーっと、見ていたくなる、おもちゃ。お気に入りでした。

2016年10月29日土曜日

鼻歌

娘は、ご機嫌なとき、鼻歌を唄う。
お風呂にはいっているとき、
何か好きな作業をしているとき 
ワクワクすることかあるとき、

「フン、フン、フ~ン」と、聞いていてこちらも、微笑ましくなる。
兄に言わせると、「音程違う!」と、ピシャリとやられる、兄の耳には何の歌をうたっているのか、わかるらしい。


私たちにとっては、音程よりも、その心の状態に癒される。

娘は、あらゆる大人から、「癒されるね」と、言われながら大きくなった。

ニコニコして、嬉しそうな姿。どんな気持ちが湧いているんだろう?
意図的なものではない自然な感情は、内側から「~したくてする」力が働いている。

普段私たちにも自然に発生してくる感情は、それまでに蓄えがあるから、無意識に力となって現れている。


嬉しいと、ワクワクする気持ち
やる気や、テンションが上がる気持ち
応援したくなる気持ち

が、普段から蓄えられ、準備されている。

反対に
カチンと、怒りのスイッチが入るときの気持ち
人がうまくいってるときに、嫉妬したくなる気持ち
ちょっと皮肉を言いたくなる気持ち


あらゆる場面で、ふと湧き出す感情に見えるが、これも日常育てられ、準備されている。

いい感情は、出ても問題を起こさない。むしろ、周りにいい影響を与えられるそんな力を持っている。
けれど、トラブルになりそうな感情は、ある程度自分の中で抑えたり我慢しながら、社会とバランスを保とうとする。それは、自分の心にブレーキをかけたり、そんな自分を認識しない事を教えている。
心は、ブレーキをかけたり無視されると、力を失う。

そのままの自分でいいことが、一番のストレスフリー。


どんな感情が、多く現れるだろうか?
気分のいい感情と共に、誰もが過ごして行きたいと思う。

気分のいい鼻歌は、大人でも歌う。

そばにいる人も、なんだか幸せな気分になる。力を持った感情は伝染する。

そのままの自分に、喜んで向き合える人生を目指して学んでいこう。
花をいけて遊ぶようになった娘


2016年10月24日月曜日

歯っ、歯っ、歯~ その2

その1から、続いて園児ルームへ移動し、お待ちは現役保育園児、年中、年長さん。

今年は、箱を3つ開けました。
いつもの、大きな口模型のほか、ホンモノの歯箱入りを2つ、
もう1つおまけに、ホンモノの歯を首から下げて…。
この重要な品物を惜しみ無く提供して下さったS 先生、本当にありがとうございました。

園児は、それはもう大興奮でした。

首から下げた、いのししの歯(牙)をみて、
「ドラキュラの、歯~!」
「恐竜の歯~!」
「鬼の歯~!」
「先生の歯~!!」

と、まあこんな具合で、
今回は「歯はどんなお仕事があるの?」と、質問に質問を重ねて進んでいった、何とも楽しめる時間でした。

質問すると、園児は必ず答えてくれます。
うるさくなっても、こんなにやりがいあるパワーは、私にとってかなり、やる気のわく瞬間です。
ボケ役は、勿論お任せください。

写真の真ん中の歯の模型は、人間の子どもの歯(=我が子の使用済み乳歯。一本消え失せてしまいました。)、
一番身近で、自分の口と同じものが、箱に入っていることに、驚きのようでした。

あとどのくらい、使うのかな?
それまで毎日、ご飯を噛んで、口の中で唾液とまるめてゴックンする。
「どうしてそんなことするのかな?」また、また、質問で進む。

最後に、とっておきの「誰かの歯が入ってる」と、マッコウクジラの歯~で、おしまいと。

園児:「又、持ってきてねー!」
私:「蓋開ける呪文、覚えていてね~」

一期一会、皆さんまたお逢いしましょう!

2016年10月23日日曜日

歯っ、歯っ、歯~!その1

今年も保育園子育て支援センターで、歯のお話をしました。
12組の 子育て中の 親子さんと
和気あいあいとした雰囲気の中 、お話が進みました 。
昨年から座談会形式したところ、かなり好評だったため、


質問にお答えしながら、あっという間の1時間20分。しゃべりました、歯の話にどどまら、育児を通して出逢った知恵や知識から、どのように生活に取り入れていったのか?
そこから広がっていった私たちに必要な情報。

それらを処理するには、誰にでもできる「考える」と、いうことを忘れてはいけません。

最初にいただいた、参加者さんからの質問は、

歯の磨き方はどうすればいいの?
虫歯にならなくするためには ?
仕上げ磨きが、うまくいかない。
おやつについて、あげるべきかどうか葛藤がある、どうなの?
歯みがき粉について、安全性は? 

情報がいろいろあるだけに、関心も高いようです。



私がお話しした内容は、
生活の中からできあがるムシ歯、食生活習慣による影響

 歯磨きするなら、その練習を親子でどのように取り入れて軌道にのせるか?

 よく噛んで食事をすることの大切さ、そのために離乳期からの、食べさせ方の誘導の方法、 等。 



そして、
私たちは、子育てをしながら便利で不自然で危険と隣り合わせの中、本当の豊かさを求めている。

歯ブラシ を持つ前に、しておくこと、知っておくことは、たくさんあるのです。

あくまでも口は 体の中の一部です。

大人だって、寝不足続いたな…風邪をひいたかも…今日は疲れたな…というときは、口の中もどこか調子が悪い。

大人も自分の体に聞いてみる。
いつもと違う感覚を、感じてみる。
今日の疑問に、生活を振り返ってみる

不調という麻痺の感覚を正すために。
目の前のことに考える感覚を取り戻すために。

2016年10月18日火曜日

チャレンジ:白ごま油

一か月ほど前から、 アーユルヴェーダ による白ごま油 の 活用法の情報が気になってました。
我が家では3~4年前から料理に白ごま油を使用しています 。
これは、正食料理教室に 通ったことがきっかけで使い始めました 。匂いや味もきつくなく、炒め物や サラダなど 何でも使っています。
 その白ごま油を 体の健康法として位置づけているのが アーユルヴェーダの万能薬白ごま油 です。
オイルマッサージや、乾燥対策 にもいいそうですが 、私が興味を引いたのは 「うがい」 として使用することでした。

約5000年前からインドでは、このような健康法があり、今もなお情報として検索できるということは、先人から学ぶ価値があり、それを実行する人もわりといるのだと思います。
そして、タイムリーなことに
同じ情報に出逢っていたある患者様が、「知ってますか?」と、私にお話を振ってくださいました。
これは!!始めるタイミングだなと、感謝し
思ったわけです。
早速、温度計、耐熱容器を揃え一気に作り、うがいをしてみました。

胡麻油の下準備(キュアリング)の様子です。
今回使用の油です

小鍋、耐熱計量カップ、温度計、保存用瓶(遮光がよい)

保存用瓶に合わせた量を、じっくり湯煎にかけてみました。
90℃を確めて火を切ります

冷めたら保存用瓶にいれて出来上がり。
冷蔵で3ヶ月持ちます。足りなかったりして…!?

最初は、慣れないもんです。口に大さじ1ほど入れて、ガラガラ、ブクブクうがい。
油のうがいは、みずと比べて重たく、まるで、口の中の筋トレです。
時々休みながら、約2分。
その後、ティッシュに吐き出します。

うがいをしていると唾液もでて、油が柔らかくなります。舌下の粘膜から、抗酸化作用のある胡麻油が体内へ吸収されます。
さて、次の日の朝驚いたことに、口の中がスッキリしていました。いつもと全く違うのです。


更年期時期の女性ホルモンを整えたり、アンチエイジング、抜け毛、白髪予防、口臭予防にもなります。

食用なので、魅力的ですね。
じっくり効果を試すために、夜うがいを取り入れてみます。

大切な自分を、お手入れする時間、あってもいいんじゃないですか。
自分の体を知って、セルフケアしてみよう。

2016年10月15日土曜日

小さな挨拶

日常生活の中で、買い物などに出かけると、
よく視線を感じるときがある。それは、ベビーカーにのった赤ちゃんや、小さい子どもの視線。
「ん、私の顔に何かついてる?」と、聞きたくなるほど見られてしまう、ジーっと。 
先日会った2際くらいの男の子は、お母さんが書類作業しているそばで、 子供の世界を楽しんでいた。
そこで私と 目が合ってしまった。
やっぱりじっと見る。

そのまま 両肩を キュキュッと2回上げて合図をした。
…きた!、直感的合図と言う名の?子ども会話?…
それならばと、私もそれに応えるように 真似して肩を2回あげてみた 。
すると、 また肩を2回あげて返してくれた。

私は 嬉しくて微笑み返しながらじっと見ていた。二人の間に会話はない。彼は真顔である。

 宇宙人みたいに交信してる感じだ。

こんなとき、大人の知恵による、気を聞かせたつもりの会話は、子ども世界を変に邪魔する気がする。


次また会えるかわからない、すれ違ってもわからないかもしれない、 だけどこの一瞬、心が通った時の感覚は、人だからできる年齢関係ない、「今を生きる」感覚。

大切なことは、いつも目の前に来ている。 

大切な瞬間を逃さないようにすると、楽しく生きられる。
娘より、修学旅行お土産


2016年10月11日火曜日

自分を育てる方法

義務教育で習わなかった事で、大切な教科があるとしたら「自分」という教科なのかなと思う。

自分自身を、自分で確かめる授業。
主に、自分に対して考える授業。

先生の仕事は基礎を説明すること。それに対し自分の経験や考察をもとにして、その得た小さな成長を書き記す。
定期的に、生徒の理解度を「テスト」のように今の自分の状況を、説明または文書にしてもらう。

そして、後になってもう一度その内容の振り返りをした時に、自分の成長を確かめる。

人間の成長は、回顧的で円錐螺旋形に成長を遂げる。

山登りのように振り返ってみて、その高さを知ったとき、実感と納得がセットでやってくる。
この、認識方法が勉強には必要で、習うべき重要ポイント。


順位は出ない。成績もない。なぜならば競わせるよりどれ程の理解があるかを自分で認識できるよう確かめるほうが、大切だから。

そこで、意味を取り違えたり、ただ覚えることだけに、集中していたらその小さなひずみが、後何年後の自分の中にできる判断力として働いて行けない。

私たちは、生きている間、選択するタイミングが幾度と無くやってくる。

そんなとき、どの道を進むべきか判断に迷う時がある。
自分に、確かな判断基準が根底にあれば、あらゆる問題がやってきても、方向を指示していける。



そんな未来をその子に持たせるための、「自分」という勉強。


そんなシステム、あったらいいなと思う。過去にさかのぼれたら私だってそんな勉強をしてみたかった。


悩みをたくさんかかえて、
「いつか楽になりたい」
「これさえ済めば、その先に・・・。」
「どうせできない」

あらゆる辛い言葉が、きこえてくるようだ。

自分はいつからでも育てられる。
を、信じて、

わからない自分をわかりたくて、
衝動にかられて失敗してしまう自分から脱却したくて、
物事の捉え方、考え方の技術を、


学び・・・今振り返って、

変化したことは・・・


以前なら「無意味」と投げ捨てるように、小さな成長を認めなかった自分が、その重要性に気づくことができた。それに気づいたら、今までとは違った視点を生み出してくる。

家族の会話も、前向きに捉える言葉のキャッチボールが上手になった。
夫との会話は、ワンランク質が上がった気がする。

そして、「ありがとう」と言う回数が、増えた。


それらは日常の小さな成功。これを積み上げていくことが、自分を育てる方法だったなんて、

「ふーん」と聞き流してしまったら、

「おっとどっこい、それは自分の頭が寝ボケてしまってる。」


強力な目覚まし時計を自分に。

2016年10月7日金曜日

GOサイン

その説明、よくわかります。と、言われるときがある。
いろんなパターンと、
基礎的な説明も、その人の理解度や、生活環境に合わせて表現する。
例えば…と、続くならこれから起こりうる可能性を含めると、より想像しやすく、心の準備もしやすい。

同じことを習うにも、人が変われば、新鮮に感じることもある。 
人がかかわり合う世界だから、好みもあるだろう。
そこから発展する何かには、それに見合った展開が待っている。

一緒に居合わせたから出来た話、小さなきっかけが生まれたこと、予測のつかない展開になっても、それが後になってよかった結果をもたらすのなら新しい未来が生まれたことになる。

人は自分から発信すると、歯車が噛み合いながら進み始める。

進展または後退、どちらに進むも、どう進むも、それはいつも自分が思い描いていることが、
現実化している。


普段何を思い、どんな考えを巡らせているのか。
隠しても隠しきれないものまで、目の前に現れる。



もう隠すものなんてないから、そのままの私を堂々と進んでいきたい。

私は進展を望み、前向き、素直、率直、閃いたらそれが、GO サイン!!心が動き出す。



たった今のジャストフィットを、いつも考える。
一番うまく出てくるときは、相手と掛け合いの中で生まれてくる。

関わった人にしかわからないかもしれないけど、それは現時点、生きている充実感があって楽しい、だから人は、お互い人の楽しさを求める。

物よりも、魅力を感じるのは、人から生み出されたもの。
あらゆる人はそこにたどり着きたがっている。


そんな魅力いっぱいになれば、人は愛し愛される。


2016年10月1日土曜日

自分のちからで

自分の足で立つ
それがどんなに小さな段差であっても、小さな1段であっても、超えて立つ。

 1分1秒の時間が早く流れる日々に過ごしている私たちは、

時間にたくさんの行動を押し込めて、二段飛び三段跳びと大きく飛び越えながら生活している。

果たしてその中に自分の一歩を確かめる充実された時間はどれほどあるのだろうか?

自分が納得した達成感を持って過ごせる時間はどれぐらいあるのだろうか?


そう考える間もなく次から次へとこなすべき仕事がやってくる。
そんな仕組みの中に私たちは、生きている。

いつか、立ち止まって考えるときがある

いつか、立ち止まれば、疑問を投げかけたくなる時がある

いつか、その置き去りにしていた、段飛ばしの過去に向き合う時がやってくる

それは不意打ちをするように、突然にやってくるのかもしれない。
その時自分は、瞬時に驚いて何も言えなくなるか、
瞬時に立ち向かえるか、はたまた避けて去るか。


今まで、どれかの方法をとってきた。

しかしこれから先は、
障壁となる壁を、一段ずつ越えていく。

飛び越えるためには、上手に飛び越える方法はない。自分の足で下手でいいから飛び越え続ける。

だって、越えるための練習してるんだから、上手なわけないじゃん。

大丈夫、いけるさ。




2016年9月25日日曜日

やれば、できるよ。

すれ違った小学生の女の子のTシャツの文字に、「やれば、できるよ」とメッセージが書かれていた。

「そうだよね」と、返したくなって、とても勇気を感じる気持ちがした。

そう・・・、やったら出来るよ。

よく見れば・・・、わかるよ。

大丈夫、できるよ!

そんな言葉が、背中を押して少しの強い勇気になって、挑戦したことが幾度かある。

経験した人にはわかっている、「なにげない言葉」、のようだが迷っている人を後押しできる「力を持った言葉」になる。

言葉は、力を持つ。

足踏みしてしまう気持ちに、勇気を与える言葉で背中を押されたら、なんとなく進める気がする。

相手から言葉を受けとった瞬間。


そんな経験も含めて、みんな成長していく。


「やればできる」を知った私は、新しいことを初めて、すこし不安げな我が子にも、

「大丈夫、必ずできるようになるよ!」
と、力強い言葉を断言できるようになった。

今、結果が出てからでないから、先がわからないのではない。
そして「今、できていないこと」も問題ではない。

成長は、確信できるイメージをもって、成長してゆくから後に結果が出せる。


このプロセスに、付き合える私達は、我が子から
前向きに生きればこうなるんだね
と言わないまでも、確信のメッセージを見せてくれている。

それを見た私が、また勇気づけられる。
まわりまわり、巡りあいながら成長が、続いていく。

成長の連鎖を起こす、軸になろう。

2016年9月13日火曜日

断食セミナーお父さん塾

断食セミナーで受けた講義(講師・重見幸俊氏)がアップされましたので、興味ある人は、ご覧になってください。
私にとっては復習になりますが、やっぱり忘れてることもあります。
学びたいことは繰返し、大事ですね。

東洋の道(タオ)から生まれた、新概念
「これからの時代をパワフル&ハッピーにいきるためのお父さん塾」

自分の心の落ち着きどころが、何処かおかしい。

歳を重ねて、成長するってどういうことなの?

パワフルでハッピーって、実現したらスゴイね。

お父さんの塾?・・・お母さんは?実はどちらも学べる知れば納得のお勉強でした。


もし、知らなかったら・・・「知らないことは不幸である」、と今までに出逢ったあらゆる先生方が教えてくださった、共通キーワードです。

1人でも多くの人が、必要のないストレスから解放され、歳を取るごとに自分を楽しめたら、人の交流ももっと素直に活発になって、悩む人が少なくなり、あらゆる病気も減少するような気がします。

「考える」という、人間の素晴らしい能力を使って。





2016年9月12日月曜日

大移動、大改革!

近々、引っ越しをすることになりました。
これで4回目。
今までは、遠方へ4トントラックと共にお引っ越しでしたが、今回は最短距離の引っ越しです。
娘のお友だちのお婆ちゃんが住んでいたおうちで、
もう、そのお婆ちゃんはお亡くなりになりましたが、今回のご縁から天国できっと喜んでくれているような気がします。


どれくらい最短かというと、お隣・・・です。

と言っても、引っ越しは引越し、過去の不要品を処理し、新しく生活をスタートさせる我が家の大改革がやって来たのです。

不用品…、出てくるよな〜!

あの時、あんなに大切だと思ったものも、今となっては特に何も執着がなくなってしまった…
後でよく考えれば、いらなかったもの
必要になるかと思った、がしかし・・・。
理由をつけて捨てられなかったもの・・・そんなものが、たくさん。

なぜ、そう思ったんだろう…
その荷物をみて、ふと不安な気持ちにかられていたことを思い出した。

もしかして、使うかもしれない
もしかして、いつか…いるかもしれない。
もしかして、もしかして・・・もったいないから、おいとこか。   

中には使うものもあったけど、それ以前に荷物を残すとき、
未来を予測した上での判断じゃなくて、「そんな不安な気分になったから」と、いった方が近い。
その気分の力は、大きかった。
私にとって、不要なものが手放せない感覚。

放してしまって、楽になったこと、わかったことがある。


「この先」を予測して、何処に執着があるかに重点を置いて考えるようになってから、未来の予測が上手になった気がする。

手放す選択肢を持てるようになってから、必要なことをよく考えるようになった。


その時その時を、自分でよく完結する事が、選択の瞬間にやってくる。


家族それぞれ活動するスペースがつくられ、子供が巣立つ前の最終ステージの段階を楽しみつつ、自分エリアも充実させていきたいと思う。
旬のかぼすが、我が家に到着!


2016年9月1日木曜日

弱点のスイッチ

調子よくいってる時、ふと何かのきっかけで「調子が狂う」時がある。

いつものとおりでいいのに、ふと不安がよぎる時。

いつものとおりでいいのに、恐怖に感じる時。

いつものとおりでいいのに、なんだか臆病になる。

いつものとおりでいいのに、疑う気持ちが湧いてくる。

そんな些細な弱点のスイッチが入る時、失敗したり、頭が真っ白になって次の行動に影響が出たりして、本来の自分のペースは狂ってしまう。

スイッチの始まりが、不安や恐怖、臆病、疑いはどれも同類。
そのスイッチという針に食らいついて、引っ張り出されたものは、まさに自分を成長させないもの。
それって、ドキッとする。

まだ勝負がついていないのに、先に白旗を振ってしまう気分。

誰に、何も言われたわけじゃないのに、恐怖の連鎖が自分の中でぐるぐる回転しだして、体がパンクしてしまう。

その一歩が踏み出せなくて、体が固まってしまう。

相手を信頼できない自分がいる。




すべて、過去の経験から私達は学んできた。
いいことは、大歓迎するけど、よくないことは、さてどうしましょうか?
どうしようもなく放おっておいたら、ふくれあがってしまう弱点。
1年後、3年後、5年後・・・今より弱点スイッチが重く大きくなる。

スイッチが入った時、客観的な自分を意識する。
自分の中で実況中継ができるようになる。

「あ、私いま・・・困ってる?どうして?・・・あぁ、もしかして、いつも思うこれか・・・。これが私の恐怖心か。」
と、具体的に。今まではそんなこと考えもしなかった領域に踏み込んでみる。


「恐怖」一つを挙げれば、
最初から「無理!」と、できない理由を、たくさん思いつける、「不可能」を中心においた、完全マイナス思考。
ところが、恐怖の真反対に「勇気」という言葉がある。
勇気を持てば恐怖がなくなってゆく、誰もがマイナス思考脱出への兆しを見つけられる。

勇気を手に入れるには、「できない」理由を、「こうしたら出来る」理由探しに出る。
今まで考えもしなかった領域に、目を向ける。
その理由を探し続けると、いつかひっくり返るときがやって来る。

「不可能」が「可能」にかわる経験とその量。

いつしか自分へ「勇気」のプレゼントをしたことを実感する。
自分にとって価値の高いプレゼントは、自分で作り出せる。
ひとつひとつを、小さく超え続けて、パワーアップ出来るんだよ。








2016年8月28日日曜日

小さな職人

私は小さい頃から工作や絵を書くことが大好きでした。
空想もやはり好きでした。

そんな経験を持っているためか育児をする時も我が家の子どもたちと
工作をよく楽しんだものでした。
「工作したいな〜」と思うときはやはり何か閃きがやってきたときです。

するとそんな時に近くに材料がないと、買い物に行かなくてはいけません。
思いついた時に、すぐ思った作品に取り掛かれるよう、我が家では普段から必要そうな材料道具は揃えたり、ヒントになりそうな材料を残しておいたりしていました。

場合によってはゴミ箱の中に入っているものでさえ、宝ものに見えてくるようなものさえあるのです。

このたび久々に工作好きが集まって夏休み最後の日曜日を過ごしました。
参加者は赤ちゃんから小学校高学年まで。

ものを作りにとても興味のある子たちは真剣な眼差しで根気よく集中して工作をしている姿を見ると・・・

「やっぱり日本人DNAってすばらしいんじゃないか?」
と自慢できます。

クールジャパンと言う言葉が聞かれるようになったのも、あらゆる分野のこういった子どもたちが育って、もの作りに励んでいくからこそ素敵な逸品が仕上がるのだと思います。
そんな感覚を育てあえる仲間がいることは、私にとってとても嬉しいことです。



人にはそれぞれ特徴があり、たいてい好きなことに関しては、没頭でき、しかも楽しめる強さを持っています。得意だからこそ、その分野で困っている人がいれば、どこがその人の困っているところなのかが、すぐにわかります。

私は工作をする中で、一番楽しめるところは、「失敗した時」です。
この失敗を、どうやって転換させて仕上げるかを、考えて仕上げたときが、
普通に仕上げた時以上に、達成感があります。

いろんな失敗がありました。
あ、そこ切るとこじゃなかった・・・
あ、貼り間違えた
あ、穴が開いた
あ・・・やってしもた・・・。
私の失敗談を聞けば、自信が湧く人、肩の力が抜けて楽になる人、間違いなくいらっしゃるでしょう。

そんな失敗したって、「んーーー。」と、考え続けられるのは、
「次、どうしようか。」と、思考が回れる状態だからです。

大好きな一つは、
心ゆくまで
楽しんでみましょう。




2016年8月27日土曜日

チャレンジャー味噌、蔵出し!

今年2月の、味噌仕込みから半年が過ぎ、発の「ひよこ豆バージョン」味噌のふたが開けられる日が来ました。
表面のカビエリアを、ヘラで省いて・・・






熟成された赤茶色の、香りよい味噌です。



我が家の3ヶ月早く開けた大豆味噌と、比べるとこんな感じ。

左が我が家味噌、色が若い。


ひよこ豆バージョン味噌、
そのままお湯にといて飲んでもおいしい味噌スープができます。甘みもあり、なかなかいけました。

日本の風土ならではの、調味料「味噌」。
活用レシピも広がりそうです。

‥‥‥来年は、更に他の豆でチャレンジ!
どの豆でも味噌は出来るそうです。

毎年8キロ大豆味噌一色でしたが、次は1キロか2キロは他の豆で楽しんでみるのもいいですね。




寒い時期の仕込み、毎年恒例の家事となり、その人数も増えています。

またみんなで集まって楽しみましょう。





2016年8月21日日曜日

そうだったのか!

「最近、なんにもない所でつまずくの〜」

なんてことをよく聞く歳になり・・・
つまづいて、振り返って,
何もなかったときに・・・、

「アレ…私、何につまづいた?」と考えると、ふと寂しくなるような、自分の衰えを感じるのか…。

これは、目に見えるわかりやすくてショックな出来事。

しかし、こんなことよりもっと重要で深刻、しかも
同じようなことが、自分の頭の中で起こっている。


これは、もっと早い年齢からでも発見できる、自分の思考が作る、つまづきの元の存在。
つまり、自覚しないけれども、かならず同じパターンでつまづいてしまう物を、頭の中(思考癖)に持っている。

そんな時は、結局物事がスムーズに運ばない。
「人はそれぞれ、感じ方がそれぞれ違う」とは、よく聞きますが、
ではそれはどうしてなのか、考えた事があるでしょうか?そして、自分は一体どうなのでしょう?

人のことは、見やすくても自分のこととなると、とたんにわかりにくいものです。



物理的に、何もないところで、つまづかないようにするには、足の筋力をつけなくてはいけませんが、
意識的な、何も見えない思考癖の何かにつまづく場合は、その自分の思考癖を認識し、不必要な部分を退散させ、つまづかない様にすることが賢明なやり方です。

「私も悩みが多いし、幸せなんて夢の話?でも幸せになりたいの。」
と、何かいい本はないかと、探したはいいが、やっぱり幸せってこないものだな~、と新たに悩みを増やしてはいないでしょうか?

義務感を持って自己変容は起こりません。
素直に、見たくないかもしれない事実に向き合って驚いてショックを受けたなら、そこから始まるのです。

でも、見たくないものにはフタしとけば、とりあえずは見ずに済む・・・ことも出来る。
しかし、その代償は間違いなく、大きい。

自分にとって、本当に必要な事は何なのか?
何かに依存して、抜け出せないままで、自分はそれで、いいのだろうか?


つまづくものがなくなると、スムーズな感触を味わえる。
スムーズを味わうと、「次はこうしてみよっかな」、とアイデイアが生まれやすくなる。

アイデアが生まれだすと、頭の中が楽しくなる。

人生を学び直して、早期に気づいて行動する人たちがこれから増えてくる。




2016年8月18日木曜日

二十四の瞳

この夏休み、小豆島へ行きました。始発のフェリーに乗り込み、香川県上陸。



ヨーロピアンな雰囲気、オリーブの木の実に囲まれ、一日あれば島一周も、行けるほど。
観光客が、集まらないうちに散策を済ませる。








その島の端にある、昭和レトロエリア、二十四の瞳映画村は、平成生まれの子には、無縁の雰囲気。私の中学時代は、こんな感じの木造平屋建ての校舎だった。とても気に入ってたが、それも近く、廃校になると聞きました。


 二十四 の瞳の時代を説明するならば
「一昔を10年とすれば、それは、6昔前の話だよ〜」と、義母。
昔の遊び道具や生活道具も展示されており、何処かのおばあさんが孫たちに、何気なく置いてある、稲の脱穀機械を見て、使い方を教えていた。
私達の世代には、同じように説明できる人はもうほとんどいないかもしれない。


あーいいこと書いてるなー。今の小学校には、ない目標であり、日本人が昔から大切にしてる事ってこれじゃないかな…。



初めて、元祖二十四の瞳、白黒映画の終わり部分を、息子と拝見しました。無垢な子どもたちと、真剣に向き合う大人。素朴な優しさが、ゆったりした時間に、織り込まれていました。

息子曰く、「え、ここからさらに、話が展開するんじゃないの?」
・・・、今風の刺激的な展開は無いにしても、文章で言う行間を読み解きながら、精一杯自分らしく生きる楽しみを味わいたい。

子どもも、大人も。








2016年8月10日水曜日

デトックス作用

砂枕を、作ってみました。
自然療法のすすめで、有名な東城百合子さんの本より、砂浴のデドックス効果と、その代用として、布袋に、海の砂を入れて体の下に敷いて寝ると同じ効果があるとのことで、試してみました。

確かに、朝起きた時軽い感じがするので、いいんじゃないかな〜という感じ。
慢性化した病気を持っている人、熱が出た時にも応用できるとの事なのですが、私は健康維持で使いたいと思います。
では、出来上がるまでの工程紹介。
下関、うしろ浜海岸の鳴き砂ビーチより、砂を頂き!!

うーん、さらさらで、潮の香りがする。

タンスで眠っていた豆絞りてぬぐいは、枕になる。

こんな感じて、砂浴ならぬ、砂枕デトックスだよ。
枕は、デトックスされると臭くなるらしいので、最近は天気いいので毎日外に干してます。
薬に頼る前に、できることはしたいですね〜。