2015年7月31日金曜日

自分を大切にする

40代、今までの自分を振りかえって、「自分で自分の面倒をよくみる」なんてことは、いつも後回しにしていたような気がします。
自分より先にこどもたちへ・・・、
もうちょっと私がここで頑張れば、あとうまく行く?
少々無理をしても、社会的に取り繕う??などして・・・。

自分は、「本当に苦しい」と言おうとしているのに、聞こえない「つもり」で頑張って、つぶれてしまうパターン、あなたも経験してませんか?

自分という存在は、自分にとって一番尊いものです。
まずこれを、いつも忘れないように、思い出せるようにすることが、ひとつのトレーニングとも言えます。頭の中に感覚としてなかった場合は、自分によ〜く教えこませるように、「どうして自分という存在がそんなに大事なのか?」と、その裏打ちとなる理由を、自分なりに考えてみる必要があります。

これは、我先にという感覚ではありません。

つまり、この言葉を知ったら、
「そうだよね〜、自分を大切にしたら、自分に耳を傾けてあげられるよね。」
「自分は何を願っているのか?」
「今聞いて欲しい気持ちは?」
自分を卑下したり、ないがしろにしていることはないだろうか?それは、自分を大切にしていないことなのでは?ついつい出てしまう、一言に、そんな言葉が隠れてはいないか?

などなど、イメージをふくらませていくと、本当の自分に近づいて行けます。

本当の自分が、核の位置にあるならば、そこへたどり着くまで、遠い位置にいて、悩んだり不安を抱えている人は、たくさんいます。
願いはあるのに、行動が反対になってしまう、あきらめてしまう、三日坊主になってしまう。


いい加減に脱したいでしょう。

まずは、当たり前に大切な自分を認めて、よく見て下さい。
自分がわからなくて、悩むのは、知らない自分、見ようとしていない自分がいるからです。
自分を大切と認識した時、分かったことが増えた時、
   
           自信を持って輝ける一歩を踏み出していける時です。

あなたにも、できること。




2015年7月27日月曜日

トラウマ

何かのトラウマを、持っている人がいます。
歯科においても、歯科恐怖症の人は、めずらしくありません。

その時の苦痛が大きければ大きいほど、思い出すだけでも、嫌な過去です。

その時の状況や、年齢的なもの、など環境によって様々です。

よく聞くのは、
「とても痛い思いをして、未だに怖い」
「痛いけど体が硬直して、我慢するしかなかった」
顔をタオルで、覆われる恐怖心
小さい頃に、抑えつけられた・・・など。

これを機会に、歯科を遠のき、症状を悪化させてもなお、まだ受診せずにいる人も、
あると思います。

トラウマは、もう過ぎてしまった過去の出来事ですが、それを超えるには、
もう一度同じ道を試して
超えられる実績ができると、一歩ずつ進んでいけます。

それに欠かせないのが、診療室内では、コミュニケーションです。

これまでの、歯科に対する経緯
今の、ありのままの、症状や状態を整理して伝える
これから、放置した場合の考えられること、起こりうる可能性
それを回避するために、今できること
それに必要な、お互いの協力

つらかった気持ちをくみながら、診療室にまで足を運ぶ行動に移ったのならば、それをうまくつないで、心をほぐして、過去超えられなかった部分を、少しずつクリアしていくと、今度は本人の自信につながります。

今日の「できた!」は、次の「できる!」の、確信に。

これは苦手克服の、プロセスとなります。

あまりにも、結果を早く求めすぎ、「できた」か「できなかったか」に焦点を当てると、早く結果が出ないばっかりに「できていない」と、答えを出してしまっては、あきらめが速すぎます。

長くかかって、癖ついてしまったような経験は、時間が必要で、解きほぐすプロセスに注目できる視点が必要です。

しかし、「乗り越えてみよう」と思うも、「やっぱり嫌だ」と、逃げるのも、実は本人の自由です

                 が、

「嫌だ」と逃げまわっていることについては、まためぐりめぐって自分の目の前の問題として必ずやってきます。

何故やってくるかというと、超えていないからです。

あらゆる分野で「超えよう」と、頑張っている人はたくさんいます。
なぜ、超えられないのか?
それは、何がそうさせているのか?
それを、超えたらどうなるのか?

と、考えることが自分勉強で、これは今の学校教育で提示されることのない考え方です。
「なぜ?」と、立ち止まって考える、それを知りたいと思うか、思わないか?

これが、運命の分かれ道、流れる思考に乗せてしまったら、「なぜ?」は、「ま、いいか。」となり、そのうち、なかったことになります。

自分勉強って、一つ一つ「あ、そうか、これか!」に、辿り着くため、絡まった糸が解けるようなすっきり感があります。
そうやって、「できた」があり、積み重なって、自信につながるわけです。
いくつになっても、気づいたときが始まりの時、勉強とは嬉しくすすめるものです。


昨年まで水恐怖症の娘、スイミングスクールでマンツーマン指導、粘り強く教えてくださった先生に感謝。やったね!







2015年7月26日日曜日

いいと思って、やらなかった事

「あ、それいいね、私もやりたーい!」
と、言ってみたものの、「それは、こうだよ。」と、
回答に近いものをもらった時、「ふーん」と眺めては、一回聞いたまま、一回見たまま、なぜか、「わかったツモリ」になったのか、
時間がたてば、「私もやりたーい!」は、
無かった事になっている。

40前後になると、「自分はこのままでいいのか?」
と考える時が来る。自分の健康、病気のような自覚できるものから、時間や、精神など、目に見えないものの価値に、ふと目がいく。
自分に確かな自立を持っていないと不安がよぎるから。
私も、その一人だった。

だから、何をどうすれば良いのかと頭の中で、ぐるぐる気になる思考がしつこく巡り、求めていると、目の前にご縁とも言える情報がやって来る。

       自分の目の前に来る情報には、

1, お知らせニユースや雑誌のように、一回見て確認できれば二度と見る必要のないもの
                 と、

2, 何回も繰り返して、読み返し、自分が完全マスターするまで必要とする価値のあるもの

に、分かれる。

つまり、自分にどの程度必要性があるのかによって、

情報を自分で処理し選択できる目が、いるという事でした。

ところが、全ての情報を、日々流れてゆく会話のように、処理をしていたら、2のような本当は自分にとってマスターすべき熟読が必要なものまで、1と一緒にしてしまったらどうなるのだろう?
探し求めていた情報にも関わらず、その時の処理ミスで、実は大切なチャンスを逃してしまうことになる。

チャンスの神様は後ろ髪がない

向こうからやってくるチャンスを、正面から受けられれば、チャンスはゲットできる。
通り過ぎてから追いかけても、その背後から掴み取ることは不可能であることの例えでこのような表現がある。後ろ髪が無いって、どんな髪型!?は問題では無い、それはただの「ひやかし道草」となる。

あの日、あの時は、私のチャンスだったと、悔やむより、
これから来る自分のために来た情報には、「コレだ」と、掴むための準備は
「私は、こうなりたい」とわざわざ考えなくても、すぐ頭に浮かぶまで、自分の頭の中で創り上げておく。
心のアンテナは、必ず次のチャンスタイミングに出逢える。

「ダメな自分」を考える必要はない、それは不必要な考え方。


今度は思い切って掴もう!それが、確かな内容なら、2、ですよ!
輝く私を目指して、準備しませんか?

人生に巻きを入れろ、僕のシッポも巻入ってるよ!







2015年7月22日水曜日

イメージを高めるには

私は独身時代、衛生士の免許を持ち、限られた分野以外は、ただの凡人でした。
ことに、料理に置いては、凡人どころか、食べることは好きだけど、作ることに全く無頓着で、苦手意識もたっぷり溜め込む、後ろ向き人間でした。

なぜ、料理が苦手だったのか?

それは、料理に興味があり、料理することが自然になった今なら、答えがわかるのです。

問題は、「イメージできる力が、空っぽ」に近かったからです。


それに気づいたのは、愛娘の料理に対する興味を、そばで見ていたからです。

私の過去の経緯から、料理好きな女の子にと、苦手ならないためにはどうすればいいかと考え、
興味を持ったその時に、すぐさまGOサインを出すべく、料理作りに参加させるようにしました。

興味に合わせて、包丁を持ったのは娘2歳の頃でした。
性格的にも、じっくりゆっくりタイプだったので、少し時間をかけて、野菜を切らせて見ました。
「けっこう、いけるね・・・。ん〜、これからもお願いするよ。」


興味を持って、「これ、どう使うのか?」とか、「やってみる?」と聞いて、「やる。」と答えたその時は、
とても集中して、丁寧に教えます。
一度、丁寧に教えておくと、その次は自分で進んでいけるようで、本人なりのやり方を自分で見つけるみたいです。
特に刃物は、扱いがわかると、便利です。ハサミも同様に(これは、かなり早い時期に子どもからリクエストがかかります)

興味の基礎をしっかり固めれば、あとは、聞かれること以外は口を挟まずに子どもを信じて自由に。
やはり、応用編は本人が編み出します。ケガもしますが、大きくはありませんでした。

これを、料理✕娘とすると、
まず、調味料や、元なる味をよく知っているという事です。

醤油
梅干し
ごま、ごまペースト
焼き海苔、青のり
みそ
マヨネーズ
ケチャップ
ソース
砂糖(てんさい糖かきび糖)
とまあ、この種類をマスターしているので、自ずと「サラダつくる〜」となるわけです。
彼女の、複雑なドレッシングであえられた、野菜サラダは、いつも美味しいです。毎回配合の関係で味も、違います。
昨年10歳娘への、お誕生日プレゼント

味見をしては、「んー、塩かな・・・。」と、いろいろ考えて作っています。
娘と台所に立つのは本当に楽しいです。

私が、料理でわかっていなかったのは、ひとつひとつの基礎的なことでした。
それをよく知れば、イメージが湧きやすくなります。

料理法をみて、方法は書いてあっても、どんな状態になるかのイメージがわからなければ、ゴールが見えないのです。
イメージがあると、こんな感じになったらできあがりという、ゴールが見えてきます。

私の遅がけ、料理の勉強は、
我が子の離乳食から始まり、
夫が料理好きなため、真似するがなかなかうまく行かず・・・、
5年前に鮮魚を売るバイトに関わり、魚を1匹まるごとさばく練習がはじまり、
遂に3年前、はじめて真剣モードで、正食料理教室に通いました。

この、料理教室は、それこそ、メニューはあるものの、方法のみ書いてあり、その状態は書いてないのが特徴のテキストで、状態を自分で書き込んで学んでいきます。
テキスト文字よりも、書き込み量がびっしりあり、あとで読み返してもいつでも思い返して作れます。
今となっては、私の大事な料理本です。

ながく、眠りこけていた、私の才能がようやく、開花をはじめた料理分野、そのポイントは、イメージに必要なパーツを取り揃え、試し、繰り返すことでした。

才能は、誰でも、どの分野においても、開花する可能性は充分あるそうです。

「やったら、できる!」って、何にでも当てはめられます。できないことは、ないのです。

自分は、できないと最初に決めているのは、その力量よりも、自分の勝手なマイナス妄想がイメージすることさえ、ストップをかけていたのでした。


考え方は、技術です、出来ると信じて、またはできたらいいなと願って、それに必要なことを考える些細なことが、一歩一歩の、始まりでした。







2015年7月20日月曜日

只今、構想中...2

夏祭りの準備が、着々と進んでいます。
今年もステージイベントで、紙芝居をすることになりました。今年で4回目です。
最初は、ご当地紙芝居作成に関わったことがきっかけで、それを披露する形で始まりました。
素人地域住民が、近所の大学の先生の指導を受けながら、完成させていくもので、紙芝居に関する知識やノウハウはほとんどないまま、作成にあたり、それはそれはよく、学校通いをして先生にいろいろとご指導を受け、完成した作品です。

しかし、おはなしを繰り返し
年を重ねるごとに、記録というものは、自分で塗り替え記録更新が必要だと、考えるようになりました。

私はおはなしをすることは好きです。ただ、私がしたいだけというなら、私が居なくなったらおしまいとなります。あの人がいた頃はしてたけどね…で、終わってはいけないことに気づいたのです。

昨年、この夏まつり紙芝居メンバーに、ご近所さんで小学校の先生をされていた人と縁があり、一緒に紙芝居をしました。
その人が、「本番は、舞い上がるのよ〜」
と、言われていました。しかし、おまかせして、昔話の紙芝居を読んでもらい、そのあと、私が玉手箱を出す流れにしました。

さて本番中、
確かに、舞い上がった姿が…ストーリーは誰でも知っているので、進んでいきます、しかし徐々に紙芝居を読むにつれ、文字を追わなくなり、対参加者に語る紙芝居になりました。
おおっ、これはスゴイ、いい感じです。
更に加速し、何かの引き合いに、懐かしの歌謡曲まで入り、そのノリの勢いにあっとうされました。

これは、「舞い上がり」なのでしょうか?
おはなしをするその人の、表現を楽しむ時間になっていたと思います。
その人の、潜在意識がしゃべっているという事です。

私はその光景を、間近で見ていました。

刺激を受けるとは、自分の固定されていた考えを、吹き飛ばすパワーが、あります。
私にとっての「おはなしの固定概念」をとりはらい更に飛躍する、良いきっかけに、なりました。
それに、次控えているもうひとつのおはなしかい、「只今、構想中・・・」で紹介した、幼稚園バージョンは、「もっと脱線して良い」
という、課題をいただいたばかりです。

こんどは、私なりの表現を発想・製作しているところです。

これは、きっと面白いことになります。

今年の夏祭りは、メンバーが2人増え、
私が紙芝居を読み、3人のメンバーで玉手箱を開けていく流れになりました。


紙芝居は、昔話を題材に、テーマは「むし歯と歯みがき」です。
玉手箱は、どうやって開けるのでしょう?
それぞれ自発的に楽しく考えたら、その集団は大変盛り上がります。
人の目を着にしている場合ではありません。
チャンスが来たら、飛び込むのみ!

自分たちは、楽しめる、

子どもたちも、楽しませたい、

お祭りも、盛り上がる。



三拍子揃いました。







2015年7月15日水曜日

歯科衛生士としての決意

私は、15年ほど前、
「いつでも、どこでも活動できる衛生士になりたい!」と、宣言したことがあります。

あるセミナーに参加した時のことでした。随分前のことなので、これを覚えている人はいないと思いますが、私自身、頭に強烈に残ったセリフでした。

その時から、この思いは頭を離れることなく、自分の中ではそうなれるように、意識を練り上げる期間となったようです。

イメージとしては、
    人から、必要とされる
    目の前の人々は、喜んでいる
    多くの人々に、影響を与えられる

というようなものです。

それから、私がお役に立てるチャンスがあればと思い、始まったのがはじめての我が子と出かけていた育児サークルで、スタートを切った「歯のはなし」です。

未就園児をもつ親子がテーマだったので、むし歯にならないために、仕上げ磨きしよう!
ってなわけで、100人近くの、集団が一斉に童謡の替え歌と共に、仕上げ磨きをする、
とまあ、えらい勢いで・・・うたいましたね〜、

「かあさん、おかたを、たたきましょ〜」が、「かあさん、歯磨き、いたしましょ〜」となります。

環境が変わると、何が起こるかわからないもので、いつも磨かせてくれないのに、周りの子を見まわし、うちの子も磨かせてくれた〜と、驚くお母さんもいて、その時は
何かのきっかけになればいいな、と考えていました。

それから、10数年引越しあり、場所を変え、環境が変わりそれでも、活動できる場所に恵まれました。
我が子は大きくなりながら、
自分も、子育ての経験を積みつつ、「子ども」というテーマにも、深く考えると共に、
子どもそのものは、大人から見たら学ばせていただく先生のような存在と思うのです。

そう思うようになったのも

歯科衛生士である前に、人間であるための勉強にも縁があったから、わかったのかもしれません。
おかげで、かなりのスピードでパワーアップしています。
今私は、私らしく花開こうと、生きています。

今の、私の決意もやはり、
「いつでも、どこでも活動できる歯科衛生士」

益々、そのイメージをふくらませて、人間らしい歯科衛生士を目指していきたいです。


みんな、幸せになろう!



2015年7月14日火曜日

出逢いの責任

何かの選択肢が、思わぬところからやってきたり、出くわしてしまった問題が、突然やってくる。
この現代版自己啓発プログラムとの出会いもそうでした.
後味のよくない思いに行き詰まり、これはいったいどうやって解決するんだろう?自分ってこれから、どうやって生きていくんだろう?と、再三出くわす悩みに対して、出会ってしまったのです。

できると感じるところから、選択していく

そっちを選ぶって不自然だな、矛盾しているな・・とみとめる勇気。この言葉、使うと気分悪いけど、
相手に、嫌なこと言われて返すために使ったマイナス言葉、後味よくないな・・・。なーんて、とても些細ですが、
認めなければ、いつしか、不自然は自然になって、消えてしまう。
あの思いは、なんだったのだろう、
それは、
あとから、わかる。再度、問題としてやってきた時に・・・。

感じ方のズレ、修正をする中で、
自分がこんなになったらいいなという、憧れのイメージ持ち続けることは、考え方の技術を磨く工程でとても重要です。


考え方には原理原則というものがあります。

原理原則とは、実際に当てはめたら、いずれのパターンにしても矛盾点なくあてはまる、
人間の、あるべき生き方を示しているものです。

自分も色々と、あてはめて、まさに、そのとおりです。

おかげで、無駄なストレスを持っていた、過去の私をこうやって思い返せるようになったのです。


世の中には、こうしたらうまくいく
      幸運がやってくる
      この習慣が、大切

など、行動を中心として、出回っている情報がたくさんあります。同じ事を真似すれば、あなたも同じになれる・・・・、幸せになれる。

試した中で、そのとおりになった人もいるでしょう。
そうならなかった人もいるでしょう。

試した全ての人は、同じ目的で始めたと思います、しかし結果は、大きく2つにわかれてしまうのではないでしょうか?

私のように感じ方のズレがあった人は、
あんまり効果が感じられなかったかもしれません。
だけど、そのズレも「直したい!」という気持ちがあればこそ、誰にでも与えられる、学びにたどり着きます。

感じ方のズレを、しっかりした方向に合わせると、これまで気づかなかった視点が開けます。
すると、
人間関係、子育て、仕事、夢の実現、いきいきと生きることが、どういうことなのか、
はっきりしてきました。

あ、よかった、これならストレスなく、とても楽しくいられるじゃないか〜、と
この、学びの出逢いの必要性と、その責任を感じています。
責任とは、自分が試して証明できたことは、私のできる限りの表現で、伝えていくことです。

そして、1人でも多く、自分がわからなくて困っている人へ届けばと、思いを込めて。









2015年7月11日土曜日

30代より面白くなった40代

あー、40代に突入しちゃったよ〜、歳とるってどんなだろ、と思っていたけど、「やっぱり私は私だな」、このまま歳取るだけか!?
いやいや、そんなことは例に習って無かったのです。

その時その時、何かがやってくる。

今の学びに出会えたのも、当時共に活動していた仲間が、「これいいよ!」とすすめてくれたのがきっかけでした。
この自己啓発プログラムの中に、「夢を手に入れる」というタイトルがあります

音声では無いですが、参考にしてください。
http://www.fuminn.com/list/2014/06/post-70.php?catlink=/list/cat16/



魅力を感じました。
そして、内容を聞けば聞くほど、なるほどそのとおりの、人間の考え方の原理原則が示されています。納得があり、自分自身で深く考えてみる癖が自然につくようになりました。

耳から情報を入れるので、断然聞く力が増しました。

さらに、日本語表現を正しく使うこと、このことがこんなに自分に影響するものなのかと、初めて知り、言葉の使い方には極力、気をつけるようになりました。


雑誌を読むように、見出しや気になったところを流し読みするものではなく、ひとつひとつのことばのつながりや意味を集中して聞いてみると
「これって、どういうこと!ってことは、どうなる?」
と、普段目にしていることが、頭の中を流れっぱなしにならず、こういうことだったのか・・・と着地した気持ちになります。


と、時間差で遅れて「うわっ、これ私もやってるわ〜、これで失敗するんだな〜」と、自分を、責める方向につるっと落ちてしまいそうになる。「ここで、自分を責めてはいけませんよ〜」と、間にこのコメントがよくはいります。
学ぶなかで、自分を責めずに認めることが鉄則だったとは、後になってわかることで、学び途中は「どきっ、それ私!」な、ことが多々あり、「んーー」と、考えこんでいました。

それでも、
また、うまく解決できたらいいが、どうすればいいのかな?と考えていると、その、ヒントがしばらくしてから話されていたりします。
だれかにきいてみようか、どうしようかと迷いもなくなり、「そうか!!」
と、答えを、見つけていけます。
勉強しながら、困ったことがあっても、自己解決していく方法を知ることができるので、その一歩一歩が自立への道なのかなと、最近とくに思います。

知っておけばどのパターンも当てはまる、人間の原理原則。

だから、情報を整理するための、中心軸、からだでいう体幹のようなものを今私の中で育てています。
そんな、日々を送りながら、1日2日、1週間、とコツコツ、時間を上手に使って、聞きとる学習は、何かをしながら同時に本を読む感じ。

忙しい世の中にぴったりな勉強法を見つけ、充実です。





2015年7月6日月曜日

失ってから気づくもの。


失ってから、はたとその存在に気づく。いつも目にしていた持ち物、身の回りのモノから、当たり前だった自分の体の機能。また、時間、信頼、などの目には見えなくても、失ったとわかるもの。

そんなとき、どんな感情が起こってくるか?
その後どんな、行動にでるか?で、またその次の展開が、予測されます。

子ども同士の喧嘩でもあるように、相手を傷つけてしまったら、「ごめんね」と謝ることを教育されます。
傷つけてしまったら、相手に自分が間違っていたところを認めて、謝ることは大事です。

大人の世界でも同じ。

そして、詫びる気持ちと同時に、立ち上げ、意思表示してしていくものが
これからの心意気と、その後の変容。現実から逃げないという事。

      実は、最終的に一番望んでいるところは、ここではないでしょうか?

「ごめんね」や「すいません」を、連発しても、それで終わりじゃないから、終われない。

その先に、確かな信頼があって見たいものがある。見ておきたいものがある。

手馴れたことであっても、悪気はなくとも失敗することはある。
その失敗を、責める必要はない。

必要なのは、瞬時何を学び、その後元の立ち位置にもどり、ありのままの誠意を示し続けることが、

信頼と納得として、お互いに起こるのではないだろうか?そこには人間同士、心のやり取りがある。

品物で、心は穴埋めできない。

まさにそのような、「立ち向かう姿勢」そのものを、誰もが憧れてやまないのではないだろうか?

些細な問題も、大きな問題も、その大小は関係なく、共通すること
      
          「立ち向かう姿勢」

日本人には、一番似合っている粘り強さの姿勢だと思う。

カッコイイしね!!

もし、何か失ったものがあったら、思い出してみる。

カッコイイ日本人って、こんな感じ?と、行動に移してみる。

人は、そんなところを、見ているし応援している。そこからが、本勝負なのかな。




2015年7月3日金曜日

只今、構想中・・・

数件、おはなし開催予定、準備中です。

一つは、小学校六年生の、修学旅行前の平和教育としてのおはなしかい。
二つ目は、地区の夏祭り、ステージイベントとしての、おはなしかい
三つ目は、幼稚園児に向けて楽しくおはなしかい

三つ全てに、共通することは、ダダのお話じゃないですよ〜。結論からいくと、自分と向きあうところに、着地予定。

それぞれに、ドラマ展開中です。

今回は、六年生の、おはなしかいについて、只今の状況

修学旅行の行き先が広島という事で、毎年この時間をいただいています。
戦争の傷跡を、実際に見に行く子どもたち、過去にあった出来事を絵本にしてある作品はたくさんあります。

その内容は、とても厳しい現実が表現されており、過去に読み聞かせをした、保護者も涙ぐんでしまったこともあるようでした。

二年前、図書の代表になった時、改めてこの機会をいただきながら、今この子たちに何を伝えることができるのか、考えました。
私も、戦争は知らない世代です。
これから本当にあった現場後を見に行くなら、同じ過ちを繰り返さないように一歩先にすすめるよう
後押しできたらいいと思い、

当時選んだ本は、「3びきのかわいいオオカミ」という絵本です。

三匹のこぶたの逆バージョン、怖いオオカミから逃げまわる、ブタさん、しかし最後に逆転その結末は・・・という流れです。

これは、「はっと、我に返る瞬間」を、嗅覚から刺激し、ついに「気付く」のですが、
「やられたら、やりかえす」を繰り返しても、終わりはなくエスカレートするばかり、どこかで、気付こうよ、違えてないか?と、疑問を投げる本でした。

当時、授業のコマをいただき、何でも自由にさせてくださった、先生方に感謝です。

で、

これがきっかけで、火がつき!?

昨年は、紙芝居「ねこはしる」を読み、猫とその餌の対象となる魚の、友情のおはなしでは、
「みなさんは、なんのために、自分の命を使いますか?」
と、聞いてみました。こたえは、すぐありませんでしたが・・・。

さて今年は、

大型絵本「とべ、バッタ」予定。

自分らしく生きる道を自分で選び、そこに飛び込んだ勇気は、いったいどこからやってきたのでしょうか?

覚悟を決め、いざ挑んだバッタ君、そして、限界点を超えた先には・・・六年生の目には、どんなに映るのでしょう?

「たかが、虫の話」ととりますか、「あれっ、これって」、と気付きに入りますか、そこがセンスの分かれ道、感性豊かな子どもたち、いつか「もうダメだ」と思ったところを、超えるときがくる。

それは、いつなのか?
それを、超えた先には、何があるのか?

そんなことを、ぐるぐる考えながら、当日の私は、やる気満々で、読ませて頂きます。
そのあと、何か喋らずにはいられない、感動が有りそうですが・・・


言葉の力を感じる一冊です。










2015年7月1日水曜日

求める情報 その2

生えたての新しい歯を守る為にも、そのための情報はよく出まわってます。
「仕上げ磨き」という言葉もかなり定着し、あれこれと行動に移す人も増えているのだろうと、薬局などの歯ブラシを置いてあるコーナーを見れば、社会的需要がわかります。


未就園児をもつ、親子が集う場では、
この仕上げ磨きを我が子にもしてみるが、うまくいかないという声、良く聞きます。
さて、なぜうまくいかないのでしょうか?

さあ磨くよ〜、歯と歯ブラシがあれば大丈夫?
仕上げ磨きというと、お膝の上に子どもが寝っ転がって、大きい口を開け続けてくれる子どもの歯を磨くというスタイルはよく見ますね。

確かに、こうすると口の中も安定してよく見えます。

「じゃあ、うちの子にも!」と、意気込みたいところですが、さて、あなたならどのように取り入れますか?



上手くいっている状態を見た時、「やってみよう!」と真似ることはとても良いことです。それに伴い、「はたして、その準備が出来ているか?」と考える事も、セットです。
ここで、疑問。
自分以外の口を触る事ってそうないですよね。(専門家はここのところが実に麻痺しています。)

専門家は繰り返しの教育と訓練により、日常生活の一部に近い感覚になっています。
だけど、専門家になる前は、口の中なんてどこをどう触っていいのかわからなかったと思います。

この初心の感覚を、
        
        また思い返して、
             想像し、
               できるようにどう伝えたらいいか考え、
                               

さらに、相手に合う言葉を選びながら、チューナーをあわせていきます。



歯ブラシを持つ前に準備しておくことがあります。

普段、保護者さんが、わが子を良く観察しておこくことです。
どんな時に、どういう反応をする、好きなこと、嫌がることなど、ありのままをよく見ておきます。
そして、自分の口でも実際、試してみてください。
口の中を触って、痛いところ、歯ブラシが入ると不快なところ、どの程度まで、どんな具合で歯ブラシを入れても、こすっても大丈夫なのか?
唇はどこまでひっぱれるのか?など。大人と子どもでは、口の大きさも全然違うので、これは、参考にするための練習です。
そして、実際試していきます。

もし、うまく行かない時、

子どもは、それがなぜ拒否したいのか?どこが、嫌なのか?事細かに説明してくれません。
歯ブラシをかんでその動きを止めたり、口を開けてくれなかったり、自分で歯を磨く以外は、させてくれなかったり・・・
眠いのかもしれないし、理由はいろいろあると思います。

仕上げ磨きは、大人と子どもの共同作業です。抑えつかけたり、「そんなことしたら、むし歯になるんよ〜」と、大人側の過去のつらい記憶たっぷりで、追い掛け回さなくとも、
そもそも、食べたら汚れるものなのです。

外遊びをして、泥だらけの手を洗うのと同じ感覚でいいのです。

だから、1本しか歯が生えていなくても、汚れは立派に付着します。

仕上げ歯磨きをする方と、される方にはお互いのすり合わせをしながら、少しづつレールに乗っていけばいいのです。小さな納得の繰り返しが習慣となって形になっていきますから、気負わずに、たくさん観察した保護者から出たアイデアをどんどん取り入れて試して行って欲しいです。

ちなみに、私が過去に試したものは

(歯がない時から)キレイキレイしようね〜と言いながら、歯茎をなでる
歌をうたう
当時好きな絵本の、キャラを口に中に登場させる。(汽車が、シュッシュッ、ポッポ・・ゴーシゴシ)
パペット人形をはめて磨く。
子どもによって、反応は様々、うまくいった日もあり、もうちょっと磨いておきたいところを残して終わる日も多々ありました。


しかし、これだけは自身をもってください。
自身の観察から、考えだしたこと。
それはよく観察した人がその子どものことを、一番良くわかっているという事です。



まさに、二人三脚、ぼちぼちいきましょう。