2015年9月27日日曜日

スムーズ

こう考えた方が物事がスムーズにいく、ということがある。


例えば、

相手に、一言添えたら理解ができ、ことが運ぶ
「もーう、それ先におしえてよー。」

少し先を予測し、想像できる可能性を持っておく
「もしかして、こうなるかもしれない」「または、こうなるか?」

相手の状況を知ろうとする事、何が必要か?自分にできることは何か?何が言いたいのかな?

など、ちょうどいい加減を探る思考と、進行して行く現場の状況把握とちょっと先に必要な、動きを考える。


忙しい・面倒くさい環境だと、つい阿吽の呼吸を求めたくなるが、その前にお互いのコミュニケーションなくして、阿吽は生まれない。
確認はないよりしたほうかいいし、お互いはある程度のところで準備しておく必要がある。

水の流れが滞りのないように、人とのやりとりも、形や動きを変えて常に留まることがない。

その流れに乗って送る日々は、いつも同じ流れではないけれど、止まってはいない。
必ず進んでいる。


流れに逆らう理由は、何もない。流れを止めようとする理由も同じく。

目の前にある、流れはまさに今までの自分がつくりあげてきたもの。


急に、驚く事なかれ、それは今まで自分が積み上げてきたもの。

           何を?


今苦しいのか?爽快なのか?が答えを示してくれる。



まっすぐ歩いて行こう






2015年9月26日土曜日

味噌活用

出来立ての味噌で、娘に一品お願いする。

ゆで野菜の、味噌ディップ。

すりばちを用意し味噌からスタートし、自分が終わりと決めた所で仕上げてもらうことにした。

残り少ないマヨ、水を足してシェイクしたもので水分調節。

好みで、マヨ追加。

味噌にかぼす・・・いつもの調子で絞ったら、入れすぎた。

すっぺ、さとうさとう〜。

できたよ〜。うまい。

はい、ご苦労様。味噌にしては、さわやかな風味のディップが出来ました。ありがとう。
レシピをみて作るわけでもなく、まさにインスピレーションのまま進むとは、このことで。
この日のゆで野菜は、オクラ、きゅうり、人参、里芋でした。

いいかどうかは、自分の舌で毎回チエックしているようです。
この、「味見」という作業は、とても大切で、調味料を入れる前と、入れた後でどう違うのかを舌で考えているようで、この経験が次の料理の調味料選びに役立っているようです。

何においても、before/afterは、大切です。

自分が通り過ぎてきたものに対して、振り返ってbefore/afterが、言葉にできたらその経験はその人そのものになっているという事でしょう。

新しいレシピに挑戦するだけでなく
新しい本に出逢う
何か人から、教えてもらって生活に取り入れる

など、様々な事例がある中、さてその後どんなafterが、待っていたのか、あなたにどんな
before/afterがありましたか?

自分にとって、成長する方向に変換の道が進むといいですね。








2015年9月22日火曜日

よし、今だ!

昨年12月に、仕込んだ自家製大豆味噌。
今年のゴールデンウイーク頃なら、いつ蓋を開けても良かったのだが、前年はまだ熟成が若く、味噌の色が仕込んだ時とあまり変わらなかったため、今回はすこし期間を伸ばして・・・とするうちに秋になり、「あ・・そうだった。もう、今の味噌、なくなるしな・・・。」

一度蓋を開けたら、小分けしてすべて冷蔵庫に移す必要があるため、

        そろそろよ、いつにしようか・・・

ゆっくりした静かな休日の朝、天気もよく気持ち良い。
「よし、今だ!」

と、床下収納から、8キロの味噌容器を取り出し作業へ。
「なんだか、麹菌が容器外にも充満してる感じ・・・。」

蓋を開ける前に、娘に一声
「味噌の蓋、開けるよ〜」
「ええ〜っ!!」(とっ、とっ、とっ、とっ)近づいてくる。

娘は、味噌汁が大好き。
早速、この状況を見にやってきた。

さあ、できあがり確かめの瞬間、蓋を開けると・・・、色づきも良く、バッチリな感じ。

「できた!」
大きめのタッパー5つ用意。

ゆで大豆、1,5キロ
塩入り米こうじ5キロ、のみで作った味噌、防腐剤はない。

活きた菌の熟成に任せて、味噌が出来上がる。
これは、日本の土地にしかできない、独特の調味料。しかも、私達のからだが欲しがっているものだ。これから、温かい汁物がとても美味しい季節。


今年も美味しい味噌汁、作るよ〜。

思い立った瞬間から、作業は一気に進む。
これが、いつもの集中時間。終わったあとはとても気持ちいい。

そんな、集中時間を楽しみながら、これからの時間も使っていきたい。





2015年9月18日金曜日

ツモリの感覚

歯磨きひとつとっても、ツモリの感覚に支配される。

舌で歯の表面を触ってツルツルしてるからOK !としても実は、汚れてますよ~まだまだ歯ブラシで取れる範囲ですよ、とコメントが出される、歯科の日常。

「そうは言うてもねぇ!そんなに歯ブラシばかりに時間はかけられんよ」と、いうのが本音かも!?

何分か時間さえかければ、かけた時間だけ歯はキレイになるのか?と聞かれれば、そうとも言い切れない。何故ならば、口の中の掃除をしようと思えば、それなりに知っておかなくてはならないことがある。
  相手を知ることにより、より的確な作戦がたてられるというものだ。                   
    1,歯磨きというのだから、まずは、歯から話をすると、
  • 歯は、丸い、または楕円形をしている。                         そこに歯ブラシを当てて動かしたら、まず丸みの強いところの汚れから、こそぎ落とされる。   同じ動きを繰り返しても、すでにキレイになっている部分を二重に擦ることになるため、                                             当てる位置を変えるか、                              ブラシの向きを変えないと、                                   一本の歯もまともに磨けないことになる。
2,次の口の周りの筋肉について

  • 歯ブラシを口の中に入れる際、意外とその動きを邪魔するのが、唇や舌、また口をしっかり開け過ぎると、歯ブラシの入りを邪魔する頬の筋肉。                     これらは、粘膜に入る力や緊張を緩めることで、ブラシの動きの制限がやわらぎ、操作がしやすくなる、歯ブラシを当てたい場所に持っていける。

    3,効率良く、汚れを片付けるため清掃道具の選択にも気をつけて

  • あらゆるデンタルリンス剤や歯みがき剤が売られる中、すっかりそれらの効能にお世話になりやっと綺麗になるわけではない。基本はやはり、歯の汚れに対し直接働きかける、「こする」という機械的作業。何かが当たってこすられることにより、歯の汚れは落ちるのである。                                                 こするための道具は皆さんご存知の通り。また、平切り歯ブラシの弱点を克服するかのような、ヘッドの小さい、ポイント磨き用の歯ブラシは、ポイントと言わずにメインに置き換えて歯みがきタイムを過ごすほうが、逆に時間単縮に役立つと言われている。
情報が氾濫する中にいる現代人は、自分にジャストサイズを選択するためにも、歯科医院を自分のために利用して欲しい。

まな板の上の鯉では、一番知っている自分の加減が無視されることになる。
それでいいのかと、自分に問えば実は自分は何が知りたいのか?何のために、足を運んでいるのかと、考えれば答えは自然に出てくる。

自分の歯を自分で守るための行動をより多く知って、楽しみを持って取り入れられたら、歯みがきもちょっと違う感覚になるのかな・・・。

念入りに磨いたあとの爽快感、たくさんの人に知ってほしい。

あれっ、と思ったことは思い留めておかなくては、どんどん流れていく。


さて、   
あらゆる場面に置き換えても同じだが、


自分にとって出来ていなくて気になっていることは、誰にでもある。
できていなくて、何とかしたいから、出来るようになる情報が目の前にやってくる。

だがその情報のみ、その時だけ見聞きして、あとは実行になかなか移れずまたは続かず、放おっておくと、「放ったらかしが平気な感覚」になる。

放ったらかしたまま、「ツモりの感覚」になれば、大変な落とし穴になることもある。
簡単な歯ブラシの話から、日常に当てはめて、
自分から大切だと引き寄せておいて、実行または成就に届かないでいることはないか?

自分自身に焦点を当ててみる。










2015年9月13日日曜日

ブレない勉強法

義務教育時代、答えを見ないで問題が解けるまで訓練をする。ドリルみたいに。
しかし、解き方が導けず、答えがどうしてもわからない時は、答えを見た。

教室でこれをやると、
「あ〜、答えみたらあかんのに〜。」ってな具合で、吊し上げ状態になる。

だから家でやる。

答えを横に置いて、ものすごいスピードでノートに写す人もいた。
しかし、それをやっているうちに、解き方を覚えてしまったという人の話も聞いたことがある。
どんなルートであろうとも、問題を解く訓練に手段は様々。  とするなら、

「これが答えですよ」

と、置かれてそれを当てはめさえすれば問題が解けるなら、それは原則といえる、数学で言う公式に当てはめるという事だ。

人の意識も同じく、原則があった。

それは、動物と人間の違いを当てはめたら成り立つものだった。


動物には、人間のように過去未来を知覚できる意識がない。現在のみに生きている。


よって、目の前にある楽を貪り、目の前の苦から逃避することが、自らを守る選択となる。

人間は動物にはない、「苦楽を引き寄せる法則が逆さまである意識の次元」を、持つようになった。
(肉体は物理次元なので、動物的反応のままで良い)

しかし、意識次元に物理次元では有効に働く「楽を貪り、目の前の苦から逃避する」反応を持ち込むと、結果として、楽を失い苦を増大させる結果を招く。
                       {重見幸俊プログラムより抜粋}



人間は、「苦に立ち向かい、楽に対しては準備して待つ」と、事の運びは、およそうまく行くことが、
わかった。

面倒くさい、それは人事、やりたくない、と、思いが先に立つなら、なかなか辿りつけない。
また、そのとおりと思えど、間違った方向に捉えてしまっても結果は同じく。

内在する本当の自分を解体する学びをしつつ、方向性をあわせ、苦に立ち向かう理由を、答えから知れば、ブレも少なくなる。
それでも解体すれば、間違った方向に捉えている自分は、普通200も300もあると言われている。

それだけあるなら、時間のかかる学びと一目瞭然。それをいつ始めようが、気づいた時がラッキータイミングだったという事になる。

今となって、言えることだけど・・・。
階段を1段ずつ、ゆっくり登る学びは、達成感アリ!







2015年9月11日金曜日

脳も、アップデート!

自分のこと、好きですか?と聞かれて、好きを選べますか?

あらゆる人に、間違いなく「はい」のセリフを選択して欲しいです。

「好き」に、ためらいがあったらそれは、なぜでしょうか?

そう考えると、ここがよくない、あそこがよくない
ここができてない、などと、重箱の隅をつつきまわしてでも、嫌な自分、しあわせではない自分をどんどん説明してしまう。
うまくいったにしても、「いやいやまだまだ全然ダメだ」と、言葉に出てしまうとするなら、

いつになったら、「うまくいってるぞ」、「よく頑張ってるな」って、思うのでしょう。
それは、誰が言って認めてくれるのでしょう。
ゴールできるのはいつ?

私の父は、人から褒められると
「いやいや、なかなか・・」と必ず言いました。

子どもの時、どういう意味なんだろうと思っていました。

顔は、嬉しそうなのに、言葉は「いやなの?」なーんて・・・。


それが、世間体なのかもしれなかったけれど、時代は進化しています。
昔、常識な振る舞いだと思っていたことは、我が子を育てる時代まで常識のまま置いておいていい部分と、そうではなくなった部分もあることを、認識する必要があります。

人間の仕組みも、解体されている中、心のあり方も同じことが言えます。
「自分自身を信じられる人生」の中で、私達は生きていきたいものです。
忙しいと言われる時代が来て、自分自身を置いてきてしまった私達、必要でないものをたくさん抱えて、それとは知らずに、悩みの渦に巻き込まれて、沈んでいないか?


人の意識に焦点が当たる時代となりました。


難しいことをするわけでもなく、現状の自分を自分を知り、より良い自分を求めて一歩ずつ。
求めるからこそ、目の前に必要なことがやってくる。

自分に、努めて教えなくてはいけなくなってしまっている、自尊心。
自尊心は、人からなにか言われて傷つくものではなく、傷つくとすればそれは自尊心ではない。
自分を信じているからこそ、自尊心となる。

脳を、アップデートして、信じられる自分を迎え入れる準備をしよう。

2015年9月9日水曜日

賢者が残した言葉

アインシュタインが未来の私たちに残した数ある言葉の中に、

学校で学んだことを、 一切忘れてしまった時に
なお残っているもの
それこそ教育だ

という言葉が、あります。
 これは、何を指し示しているのでしょうか?
天才の言うことは、天才にしかわからない.....ことはないのです。
私たちも、考えればわかります。

学校教育で色々と、学習しますがそれも日常使わなければ次第に忘れます。
「あれは何だったかな?」と、調べばわかるものは、調べさえすれば良いのです。
自分の中に、教えて育てられているもの
知識が知識だけでとどまらず、自分そのものになった時、覚えていようとしなくても、行動や考えに辿りつける迷いのない感覚。

1,無意識的有能・・・つまり、考えて無くても、そう感じ、そう出来るのがすでに自動的な認識のこと。

になるなで、大切なことを自分に、働かせたい。

しかし、
2,分かったから、やれば出来る・・・・意識的有能
3,わかっちゃいるが、出来ない。・・・・意識的無能
4,分かっていないから出来ないし、分かっていないことが分かっていない。・・・無意識的無能

と、人間の認識の段階は4つに分けることが出来ます。


1,は意識の段階が一番深く入り、忘れることのない状態、身近な例えでは、小学校で習う九九。
何回も繰り返し、頭に入るまで。九九をもう一度習い直したいという人は少ないと思います。

自分に必要なことは、正しく頭にいれて、さらに忘れないようにくりかえす。

一度、いれたら、再度入れなおさなくてもいい、ここに来る前の段階2,分かったから、やれば出来るで放おっておくと、段階3,4,と落ちていき、最後は全く忘れてしまった状態に、後戻りするのです。

いい話を聞いたあとでも日常このような忘れ方、経験したこありますよね。

     自分が生きていくにあたって、何を育てておく必要があるのか?





わが子に、たくましく生きていって欲しいと、誰もが願う。


子どもを育てる私達は、そのカジをとらなければいけない。
大人は、見ぬく目を必要とする。
何をもっていたら、正しく見抜けるのか?それを探しながら、知った端から、待った無しの子育てに活かす必要がある。


無意識的有能にまでたどり着かせ、迷いの残らない素直な子育てを楽しみたい。

それは
「自分らしく、したい事をして生きる人生」を、親子ともに歩むためにも。




2015年9月6日日曜日

本質にせまる

物事の全てにおいて、「本質」というものがある。
それは、辛い、悲しいと感じる出来事があった時こそ、それに逃げずに立ち向かって考え考えた末、目の前のぼんやりした視界が、わずか晴れてくるように進む道があると、見えてくる。
それが本質へと向かっている方向。


「人は成長するしか道はない」と学んだ。

成長するとは、今まで培い慣れた枠から飛び出そう、超えようとする時だ。
ちよっとした勇気の塊が必要な時。
確かな決意というものがあれば、後々の、「決意」に対する持続力とその後の伸びへと繋がる。

「決意」とは

その先の
イメージをすれば、最終的に「よしやろう!」と、意識を裏打ちする力が湧いてくる事からはじまる。
つまり、
自分の為になり、
相手の為にもなる、
そして周りにはよい影響を与えられる  こと、
から考え出せたなら、堂々と胸を張って進んでいっていいと思う。

そこまで、準備を整え方向をバッチリ向ける。それで視界が開け、「決意する」に至る。

力強い気持ちに支えられたら、不安もなくなり、納得の笑顔がある。

      ・・・このプロセスを通らなければ、三日坊主に終わる。

マンネリを抜け出したい、
新しい事にチャレンジする、
ポジションを変える、
働き方に変化を加える、

など、人の決意するタイミングは様々だ。力が芽生えるきっかけのタイミング。

うまく働く人に、おんぶや抱っこでは、自分自身、またグループやチームであっても、それは伸びない。

それぞれが、考えを持ち、自立していけるように、刺激し合えば、レベルアップしながら、進化していける。
その様子は、他者から見ても気持ちの良い光景なはずであるし、応援したいとも思う。

人生の中で、いろんな決意をする。

新しいステージの決意が、人に成長する道を教えてくれる。
只々、すすんでゆく確信とともにあれば、振り返って不安材料を探す事もない、前を見ていける。

哀しみの涙を流しても、そこに次の光を見出せる力を、皆んなはもっている。
知識の量でもない、学歴でもない。
この秋、ムラサキシキブの実が色づき始めるころ、義兄の命に変えて、私達家族の新しい人生ステージが開けた。