2016年2月12日金曜日

ショック療法

総義歯をした、あるお年寄りとそのお孫さんの話。
義歯を洗うために、口から出すところを、孫に目撃されてしまい、孫にとっては大変な事件だった。
お母さんを呼んで、

「おじいちゃんの歯茎と歯が、全部出てきたよ!」
っと、 報告に来たという。
更に、
義歯を口の中に戻すところを見て、
「おじいちゃんが歯を食べた!」
と、 驚きとショックの様子だったそう。
なかなか、歯磨きをしなかったこのお孫さんは、これを機に、歯磨きをするようになったという、ある患者様とのお話。

今まで何度も出くわして注意しても、聞く耳を持たなかったが、あまりにもの「ショック」という刺激により 一転して その後の生活が変わってしまうこともある。

その時、頭に強く焼き付けられた記憶は、自分が今までよかれと思ってしていたことさえ、引っくり返され「これは、もうやめておこう」と、方向転換した経験はいろいろある。
すべては、気付きがあり、解決策を前向きに考えれば、学習効果もあらわれる。
今一番自分のためになったと感じる私の「ショック」は、自分を責める、責めグセに、気付いたことだった。

「できていない」と、感じるやり場のない気持ちは、「出来ないからダメなんだ」と、そんな自分を責める。
と、同時に潜在意識は、自他の区別がないという特徴を、持っている。
自分を責めるクセは、他人や物にも責める癖を持つ。
ひどいときは、責任転嫁。
自分への習慣を、他人にもしてしまう責めグセ。
あの時なぜ、気付けなかったのか?それは、無知だったからの一言に尽きる。
苦しい自分、認識することが難しい。感情に飲まれているとき、責める言葉をはく自分は、わからない。

だか、確実に認識できるのは、その後「破壊的な結果」が、待っていること。
自分がとった方法は、誰もが「それがいい」と選択している。しかし、怒りや、虚しさ、自己嫌悪に陥る、自暴自棄という結果が来るのに、そうなる自分を選択していいのだろうか?「好きでやってるんじゃない」はず。しかし、そうなる事が「好き」な自分が、本当はいるのかも知れないと、信じがたい仮説をたててみる。

無知な自分を知るという「ショック」に飛び込むには、少しの恐怖を感じる。



その恐怖から、逃げたら少し力を増して、同じ種類の恐怖がまたやって来る。逃げた分力が増すなら、気付いた先から、手を打つのが賢明だ。

自分を責めずに、耳に痛いと感じる話に、向き合い続ける。
それが、戦士。
西洋ワサビ収穫、食卓のそばに…



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