何においても 「できた 」という小さな経験は、大切だ。 それは子どもであっても大人であっても 。
そして、 人それぞれにそのハードルの高さは違う 。違っていて当然だ、 呼吸する速さが人それぞれ違うように...
集団に放り込まれると どうもこの感覚を忘れてしまう。
忘れざるをえないのかもしれない。
娘が小学校一年生の時、 娘にとって情報の多すぎる日々にについていけなかった現実に、追い付こうと焦っていた私は、それが苦しくなりついに
「この子にとって今日という日は、何が必要なのか…?」と、突き詰めて考える瞬間があった。
結果、「今日も、できなかった」という経験よりも、「今日できた」を、積みたい。
と、担任の先生にも、話した。
それからは、私も楽になり、当時の担任の先生のご配慮・手助け頂いた。
娘も、その日に出た宿題に何日かかっても、
「・・・できたら、(学校に)持ってく!」と、言いきった力強いセリフに、頼もしさを感じた。
たから、少々ためた宿題プリントがヨレヨレになっていても、必ず先生に出していたようだ。
「出来た」が積み重なれば、 大きく成長した ことになる。
毎日、 1週間 、1ヶ月 、1年・・・。 少しずつ時を刻んで 自分が成長していく。
その日に小さな「できた」という感覚をもつことは、 小さな成長した自分を「認める」 ということだ 。
自分が 小さな成功を遂げたのに、「 まだまだ、できていない」「 全然できていない」と 、自信がない上に、この思いを強く持つことは、頑張っている自分を否定することになる。
自分で自分の芽を摘みとることになる。
この習慣を続けていけば、いつまでたっても、「成長しない自分像」が大きく膨らみ、新しい一歩に踏み出したくても、踏み出せないまま、自分はできない人間だと、イメージで結論づけてしまう。
小さな努力をし、小さな「できた」という達成感を喜ぶ方が、得をする。
なぜならば 人それぞれ同じハードルでいる必要は無く、確実にこれで、進んでいっていいんだと確かめることができるから、自信となる。
他人とくらべる自分 、周りの目がきになる自分、 これは自分の成長にブレーキをかける。
出来ているのに出来たと思えない自分がいる。
まだまだ先があるのを分かっていて、今日を認める応援を、小さな芽は必要としている。
経験のあるものは、半歩先に進んだり、半歩後ろに回ったりを繰り返して、見守っていく。
そうしながら、自分も経験と学びを繰り返してきたことを、振り返り成長を、認める。
人は、いつでも成長のチャンスがあるから、生きていることが楽しくなるんじゃないかな。
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