2015年8月27日木曜日

他人が私!?

人から批判を受けた時、それまでに自分のしていた判断はさておき、批判の内容に立ち止まり、慌てて自分の描いたイメージを消し去ることがあった。

私って変なのか?
私って間違ってる?
私、取り残されてる?
空気読めてない?


ちょっと待って、
その批判の内容は、正しいか、否か?


熱い日に、日傘を忘れてしまい、帽子もない、「あ、そうだタオル載せとこ〜っと!」
と、頭にタオルをのせて歩いていたら、一緒に歩いていた小学低学年の女子に、こう言われました。

「そんなことしたら、笑われるよ〜」

「え、笑われてもいいよ、平気だよ。」
「だって泥棒みたい」

「泥棒??泥棒ってさ・・・」と、他愛もないおしゃべりをして現地につきましたとさ。


小学生時代にはよくある、ちょっと批判めいたものをどう受けるか・・・
身を守るために出した答え、「笑われるから」と他人に言われて、やめてしまうなら自分のことは
他人が決めたという事になります。


自分よ、それでいいのか?
自分の心配は自分しかしてくれない、その具合も自分が一番良く知っているんだ。
それは、自分が面倒見るところ。


笑いたけりゃ、笑ってください。そんなこと私の気にする所ではありませんよ。


受け取る言葉、受け取らない言葉、
批判を聞かないように耳を素通りさせる事ではない
自分の
よく思われたい、よく見せたいは、ときおり、受け取らなくて良い言葉を受け取り、おかしな行動になってしまう。

他人は他人、自分は自分で決めていい。
それの判断基準は、真に自分に為になること。よく考えたらわかること。
自分の為にならない事を、知らぬ間に選んではないか?

怖がらなくていいし、ひるむことなし。

自分への、「確かな目」を、ひらいてみよう。




慣性の法則

何か新しい事をはじめたい、はじめようと思ってから、時間がたつと次第に、思いつく前の自分に戻ってしまいます。

はじめるつもりが、はじめようと思うだけになり、はじめたいんだけど...,

と薄い願望で、「保留」してしまう。

こんな運びになった事はいくつもあります。

物体がそこにとどまろうとする力を表した、「慣性の法則」は、物理の世界だけでなく、人の意識の世界にも当てはめて、説明することができます。

新しい改善点や、思いついた良い事に対して、


できない理由が見つかる
何かほかの用事ができて、そちらのほうが優先・重要と感じる
面倒くさくなってきた
このままでいいや
どうせ自分は続かない
自分には無理なことだと諦める

    と

やってみよう
最初はよくわからないけど続けてみよう
今の自分に何ができるかを、考えよう
今より良くなれるなら、そうなりたい

に、二分され両者の方向は真反対、これを過去にあらゆるパターンでどちらかを選択してきました。
そうすると、「好き」と思うことはよく続き、「苦手意識」があれば、ブレーキが自然にかかります。

自分にとって必要なことなのに、ブレーキがかかった場合、それが今後の自分の行動パターンの形成に関わるとしたら、自分のためになる方を選ぶことが、ひいては自分をパワーアップさせる元となるわけです。


今の自分、そのものの考え方や性格は、それまで持っていきた思いや考え方によるものです。

こういう時にはこうする、こうなった時にはこう出るなど、その基準になった思いや、考え方は何だったでしょう?


しかし、意識の慣性の法則は、その領域を広げることができる、
苦手なものは、一生苦手ではないという事です。

もう一度・・・

勇気を出して、

苦手だと思っていた過去の記憶にチャレンジしてみる。
心配だから特に丁寧に向き合う、

すると、つまずいた場所が認識できるときが必ずくる。


「あ、そうか、ここか!」


絡まった糸が解けるようにするりと、それは爽快に、記憶が塗り替えられていきます。

これが自分1人の時は達成感と共に、
2人なら、信頼と共に、
3人なら、どうなるんだろう?
三人寄れば文殊の知恵は、ただごとではなくなる。

可能性が広がる40代を、存分に楽しみたい!










2015年8月24日月曜日

競争意識

小学生も終わりのころのある女子との会話。
     
      「夏休み楽しんでる?」から始まり、進学の話に・・・
女子「中学で一緒になる、あの小学校って賢いん?」
私 「んー、いろんな子がおるんじゃない?」
女子「だってね〜、聞いたら漢字テストの点数高かったよ〜うちの学校の人、
    ひと桁の点数の人おるもん。」
私 「点数ありゃ賢いとは限らんで〜、そんなに点数って気になるん?」
女子「うん。」

っとまあ、今の段階で「中間テスト!」という、キーワードも気になるらしいです。上の兄弟がいる関係も影響しているかもしれません。

また、「良い点をとっても、次の学校で点が取れる子に負けて、順位が下がる、頑張って点を稼いだとしても、次の学校に進学すれば・・・・、運動も一緒よね?」と。

女子・・・よくわかってるじゃないか〜

活発で明るい女子、バイタリティーあふれるこの時期に、そこで悩んでしまっては、
本当にもったいない。
利口な子どもたちに私達は何をアドバイスできるのでしょう。

点数化されるしかないものさしを、当たり前に受ける子どもたち、点数で並ぶなら、1点でも多い方が前に来る、一喜一憂しながら、そこから育つ判断基準とは、何が生まれるのか?

人は、それで判断されて良いのだろうか?



点数や成績を基準に上を目指し、必ず頭打ちがやってくる時がある。「目指す目標」としてならまだしも、数少ない限られた席に座ろうとすると、椅子取りゲーム状態になる。
真に養うべきものを間違えれば、人を見下す気持ちだって湧いてくる。
うまく行かない自分を責める
人の目も気になる
絶望感も感じるのかもしれない

人の思考パターンや、そのパターンからの行動の出かたは、その人の履歴となって蓄積される。
過去の履歴が今にどう影響を与えているかは、40代となれば、ふむふむいろいろと、やらかしてきたものだ。
その経験から、修正が必要なものもあれば、持ったほうがいい考え方もある。
子育てをするという事は、もう一度原点に帰って、何が人にとって必要かを考え直すきっかけかもしれない。
すぐそばに、今育っている若い芽が、あるのだから。

誰でも、いつからでも、はじめて良いと思う。


学ぶ時代には、学び方をマスターしてほしい。
マイナス思考で、学んでもそりゃ楽しくない。

最終的に「なんだって、やる気になったらできる」という算段を持てたらいいと思う。

これは、大人になっても必要な考え方だから。
やる気と研究心があると、その先がなかなか楽しいものです。


2015年8月19日水曜日

人の目が気になる

私達は、人の目が気になる生活をしてきた。

「そんなことしたら、人に笑われる」かもしれない、
「そんなことをしたら、怒られる」かもしれない、
「自分は人からどう見られているのだろう・・・?」っと、勝手に思考が走ってゆく。

また、
屈辱的な思いをしないだろうか?
迷惑と思われないか?
賛成されなかったら?   などなど

人の目が気になる後に、マイナスイメージがついてくる。
だから、そんな事態にならないようにと抜け出せるまたは回避できる方法を何とか考える。



それは、自分から出たアイデアという羽を広げようとしても、すぐさま、たたまなければならなくなる時だってある。自分の行動を制約しなければならないのである。子どもでも、大人でも。


なぜ、人の目が気になると思ってしまうのか?

たとえば、集団にはいれば、
最初は、みんなの集団にいても、ペースについていかなくちゃと、焦る気持ちを持ちつつ、初心の気持ちから楽しむというより、ついていかなくちゃと使命感に駆られることはないだろうか?
また、他人から言われたわけでもなく、自分の勝手な想像に苦しんでやしないか?

私も、
周りのペースを気にしていた頃があった。

娘が3歳の頃、私の力となった言葉をかけてくださった、子育て支援施設のスタッフの1人。

このスタッフに、はじめて会って、私の娘を見て、こう言いました。

手前におもちゃを置いてみて、「あなたは、なにがしたいのかな〜」と、初対面の子どもに優しく語りかけていた光景が鮮明に思い出されます。

「あなたは、なにがしたいの?」とは・・・決定権は本人にありと・・・。
私、いろいろ決めてしまっていたな〜と反省と衝撃のお言葉でした。

この子も待てば自分から動き出す、聞けば自分で結論を出せる子どもです。
人の目が気になり、時間を待てず、それだけですでに心の両目を塞いでいた私という存在が浮き彫りになりました。

「1人のこども、そのままがいいんだよ。」
と、
「そのままで・・、いいのか・・・。」
それでいいといわれるのなら、このままを信じようと思う日々だった。根拠はわからなかったけど。


自分に必要なものは、とらえよう!よくひかかりそうだ!?
今やっと、その根拠に近づいている感覚があります。
生まれたまっさらの状態から、人は何を学び何を開花させようとしているのか?

あらゆる過去の経験や、人物の過ぎ去った一生から、私達は学べる立場にある。
自分の生涯を繰り広げながら、過去から学び取り、いったいどのような状態にあるべきなのか?
それを、誰もが考え始める時代がやってきた。

あなたも、例外なくその一人である。

この疑問にたどり着けば、ようやく自分自身が動き出している。
今まで、気にしていたことは実は不必要だったとするならば、何が必要なのか?
答えはポンと用意されない、なぜならば考え方は技術だから磨くべきところに、ウエイトを置く必要がある。
チャンスを取り逃がす前に、準備しておくという事だ。




2015年8月16日日曜日

この世に残していくもの

一年前、娘にとって大切なお友達をなくしました。

歳の差は70歳以上、お隣に住む1人暮らしのおばあさんでした。

お付き合いの期間は、5年ほどですが、二人は逢えば楽しそうにおしゃべりをし、あらゆる話をしたそうです。
入院された時期もあり、小学校の宿題の日記に、「わたしの、友達が入院しました。腰が痛いそうです・・・」という書き出しで思いを綴ったこともありました。

お見舞いに行って、お手紙を渡しに行っては、「早く病院から帰ってこないかな〜」と期待しつつも、とうとう、その命に終わりが来たと知った時、娘はまさに三日三晩シクシクと思いだしては、泣いていたものでした。

夏休み期間だったので、日々どうしてやったらいいものかと思いましたが、辛いけれど命には終わるが来ること、これからはいつでもずっとお空から見てくれているよ、とシクシクするたびに、話をしていました。

そしてお葬式の日に間に合うように、彼女にお手紙を書いて親族の方へ託すことにしました。
短い文でしたが、娘が本当に楽しい時間を過ごし、また生まれ変わってもお友達として逢いたいという内容の文を最後のメッセージにしました。

いつか、自分も命に終わりはやってくる。

それまでに、形はないけれど、まだ生きている人たちへ残せるものは何だろうと思う。

今、生きてきて、わかったことがある。

今、生きてきて、知らないこともある。

体があって、思いを表現できるすべや、誰の前にもすぐ近くにたくさん学びがあるからこそ

シンプルで、忘れてはいけない、「何か」に気づく。


その気づきは、人によって種類は違うかもしれないけど、向かっている方向は受け継がれていってほしいものを、残していけたらいいと思う。


死ぬ準備といえば、まだ早いと言われるかもしれないけど、私の周りで起こることは、このような形で
考えるきっかけをくれる。
よく考えて自分が出した答えは、自分にとって必要なことだ。


本物の楽しく生きるを探し求めて、「行くぞ〜!」















2015年8月15日土曜日

時間をかける

「いままで、何に時間をかけてきましたか?」

と聞かれて、変な質問だと思うかもしれません。
「いままで、何にお金をかけてきましたか?」なら、ピンとくる質問でしょうか?

世の中は、お金が一番、お金が基準として回る仕組みとなっています。

ある意味,価値をつける道具には、なるかもしれません。

ほとんどのものは、お金で買えるようになりました。
そして、あらゆる仕組み、人が今欲しいと思うものにどんどん値段が付けられ
売られるようになりました。

しかし、中には、お金で買えないものもあります。

それは、自分自身で本当に身につけたいもの、人間力を磨くことです。ノウハウ本はたくさん出回っています。

過去に憧れる人物がいて、そんな能力が自分にもほしいと、本を読んだりして学んでいる人はたくさんいます。
しかし、魅力的なノウハウも、一度聞いて、または読んで「よかった」という経験だけでは、思い出で終わってしまいます。


人間の成長に魅力がたっぷりあるからこそ、ものになるまで学びたいと思うのです。
そのためには、同じ事でも繰り返し、納得が起こってもなお、繰り返し、
自分の脳のデータを「オリジナル進化した自分」にするために、時間を使うのです。

脳のデータは、自分でしか作れません。自分に、日々蓄積データとしてつまれていくのなら、誰もがほしい、お金で買えない、その人そのものの魅力になるわけです。


確かに、そうなりたいと願う気持ちを、察するように現れる商品や、ノウハウが書かれているものを今までにもいろいろ見て来ました
最近は「コレひとつで、すぐ身につく・・・」という、時間かからず、ちょっとお怠けごころをくすぐられてしまう、うたい文句もありますが、それは本当にそうでしょうかと考えることが大事です。

限られた時間だからこそ、繰り返しに時間がかかったとしても、それは学びの近道とも言えるのです。
あと何年自分は生きるのか?
逆算した時、いまの社会で苦しんでいる状態をみて、その路線に自分は乗ってはいないか?
自然の摂理を学びに活かして・・・

味噌よりも熟成期間が必要な自分の脳ミソ、使い方を決めるのは自分自身。それを知るのも、実行に移るのも、求める力が強ければ強いほど、有効です。
時間をかけて仕込めば、自分らしいポジションが見えてきます。







2015年8月8日土曜日

心の視覚

人は、目で見ているものと、心で見ているものの、2つの視覚を持っている。

実際目で見て、あると認識できるものならいいが、それが「もう見たくない、見ないようにしたい」
と思えば、そう思ったとおりに見ることができる。

つまり、あってもなかったことにできるほど、心の中で拒否をし続けて生活することも可能である。

しかしそれは、本当は見えているのに自分に嘘をついた形で「見ない、見えない」ようにしているので、

時々、本当の自分は「それって、おかしくない?」
と、心の底からささやくように、ふと思いとして湧き上げてくるときがある。

そんな時、「やっぱり、見えているよね」と、認めてしまえば実はなんてことはない。
だけど見てしまうことに、恐れや不平不満、恐怖などを感じてしまうと、やっぱり「見ない、見えない」ことにして、蓋をしてしまう。
フロスと♯30木綿糸、どっちだ!?

歯と歯の間を掃除する、デンタルフロス。
歯ブラシで届かない部分の汚れをかき出す、糸。
これを、使うと結構汚れがついてくるので、びっくりしてしまう人もあると思います。

一度通したら、どれほど往復したらいいのか?
歯茎の中に入れても大丈夫なのか?
歯と歯の間を通す時、勢い余って歯茎にグサッ、なんてことも・・・

など、質問を受けました。

「1回通して、まだ汚れがあるような気がするけど、それは見ないようにしていたんですが・・・、やっぱりまだ、ついてますよね〜。」
ってなことで。

はい、そのとおり!よく、たどり着きました。

このような、ほんの生活の一部で些細な事かもしれませんが、ちょっと立ち止まって考えてみたら、
疑問に思うことは、自分に問いかける質問として大切なことです。

自分に問いかける質問力をアップさせる。それは、人の考える力をアップする方法です。

自分のまわりで起こること全てに、何か質問が湧いてくるか?またはそんな気持ちを持って見てみると、何かに気づくときがあるかもしれません。

心(潜在意識)は、善悪の判断ができないという性質を持っています。

自分にとって良かれ悪しかれ、その経験がその時「快」と感じるか「不快」と感じるかで仕分けされ、その人の行動パターンを作っていきます。

確信に迫らず、見ないようにして「安心」を覚えたら、それはそれでよし(「快」)とする経験となります。

しかし、いつか頭打ちが来る、そうまでなくても「あれ?」と、なるわけです。
私達は、この勘違いのような間違った感覚は修正する必要があります。

問題が生じた時、立ち向かい乗り越えていけば「快」の経験となります。
反対に、立ち向かわず「不快」として、逃げてしまえば本当は超えられた問題も、超えられぬまま
形を変えて同じパターンの問題がまたやってきます。

自分のためになることに、「快」と感じ、
自分のためにならないことに「不快」という感じ方を、自分に学びましょう。












2015年8月2日日曜日

ゴールまで走り抜ける

ゴール近くになるとゴールが見えているためか安心して力が抜けてしまう,
または、到達する前に負けと決めてしまい力が抜けてしまうのか。

前の人を目指して追いかけてきたならば、猛烈な勢いで、やってくるときもあります。目標がすぐ目の前に見えてあるからです。

いざ、勝負に出る時は、それ以前に、いわゆる練習段階で小さな勝負を積み重ねておく必要があります。
自分のすぐ前にあるちょっと頑張ったら出来そうなことを、「よっしゃ〜!」と超えることででいいと思います。

この小さな「よっしゃ〜!」をたくさん経験していると、後にあらゆるレパートリーが増えていく種を育てることになります。
この、
「よっしゃ〜!」
と自分に言える時の気持ち、わりと爽快な感じじゃないですか?
この、ひとつひとつの作業を気分よく、達成感と共に過ごすと、とても満足します。

逆に、達成感に到達しないまま、勝負どころが来てどんな結果が出てとしても、その後
時折、「ふと心寂しい瞬間」がよぎります。
         それはなぜでしょうか?

この真逆の差は、その後の行動にとても影響を与えるのではないでしょうか?

子どもたちの、ある試合を見てきました。
よく練習を重ねているチームが、いくつかある中、その自信の様子を集団パフォーマンスで、盛り上げている粒ぞろいのチームがありました。
ところが、勝ち上がるうちにパフォーマンスもなくなってしまい、表情がくらくなっていき、勝ち上がりレベルアップする厳しさに、どうやら気づいたようです。このチームになかったもので、他のチームが持ってるものがありました。

勝ち上がりながら、益々輝き出すチーム。
チーム内のコミュニケーションがよくとれて、個性豊か。
子どもらしい自由な空間の中に、キラリと光る緊張感がありました。
練習の時はじゃれあうように、大きい子たちは、小さい子を可愛がる姿も、よくあります。

まさに、この子たち「よっしゃ〜!!」を、たくさん積んできたんだろうな、と思えます。

チーム内の人材には、それぞれの色があります。自分だけの色を発色したまま、チームでゴールへ駆け抜けていく姿には、本物のエネルギーを感じました。

ひとつひとつを、積みあげて得るもの、それは大人にも持てるのです。



昨夜、2つ目のおはなしかい夏まつりイベントが無事終了しました。

蓋をあけたら、煙がモワモワ〜な〜んちゃって。
メンバー色は、人生経験と共に濃く、またものすごい勢いとなり興奮冷めやらぬ楽しい
お祭りの1ページとなりました。
最初は、「いやいや、私にはできない!」、なんて言ってたけど・・・??
決めていたセリフより、その人そのものが魅力的の、アドリブ劇なり。

「やれば、出来る!!」

お孫さんに良いプレゼント話になった、協力メンバー様、本当にありがとうございました。

・・・祭り終わったあとも、えらい盛り上がってましたね、
ボリュームMAXで夜空に、「あーっ、はぁっ、はぁっ、はあ〜。」(今日はお祭り・・笑)