そんなとき、あらゆる理由が大人に潜んでいる。
静かにしてほしい
遊びに夢中にさせておきたい
集中する時間を作らせたい
喜ぶ姿をみたい
どんな風に遊ぶのか?
自由に遊ばせたいなら、放っておいて何に興味かあるのか、試したいところ。
しかし、ここぞとならそこは外さず、狙いを定めて、丁寧におもちゃの入り口へ招待する。
ここを失敗したら、無垢な心と交信できない。
その子に合いそうな、とっておきの一つを選び
私に対して違和感がない関係、・・・とは、いたってありのままで自然。
大切な一つを見て欲しい気持ちを、送るように
丁寧に、ゆっくりとおもちゃを扱ってみる。
大人は、そのおもちゃの結論を知っている。
そこを早く見せたい気持ちを、全面に出して「ほらほら、こうなるよ。」と、先に扱いきってしまったら
それが一番がっかりだ。
十分認識できる早さで目の前でみせる・・・・。
私の視線はただひとつ、相手の目の動き。
視線の先を追わず想像しながら、自分の手元のおもちゃをゆっくり動かす。
それから、聞いてみる
「やってみる?」
視線を外さずに素直に、手を伸ばしてくれる。 可愛い瞬間だ。
そんなチャンスが私には、自分の子どもにも、他人の子どもに対しても、また年齢を幅広くしても、幾度とあった。
その楽しみ方がようやくわかる頃、また新たなステップがやってくる。
私にできること。
形はモヤモヤしてるけど、人の心へ、何かを届けて喜んでもらえることを。
今年もお気に入りのリースを作る |
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