2016年1月1日金曜日

少年よ 大志を抱け

クラーク博士がこういいのこした
単純に、「大志を抱く」ってどういう事をあらわすのか?

有名な言葉として、紹介された事はあっても、それが具体的にどういうことかを、想像した事はなかった。そこに、引っかかる事がなかった。
「私にはよくわからんが、偉くなった人には、わかるんだろう」と、まるで無縁の感覚だと思っていた。
それは、
「いい球が自分に投げられてきた!」、それをキャッチしない感覚、認識しないという「たまよけ」をもって、スルーしてきた。

その分私は、出遅れた。

過去の賢者が、短い言葉にエールをこめて、発信し続けている。

それを、いつ誰が受けてもいい。

受けた人は、その後どうなるのかの具体的な説明はそこにない。
しかし、それこそ、あえて言われないから、気付ける感覚を研ぎ澄ませたい。
あえて、説明が無いから、自分からそれを読み取ろうとする感覚を開いたものが、つかめる心境だ。

少年に、言葉を残す大人・・・私達も含まれている。


「それが、その先どうなるのか?」という、自分への質問が、今となっては、とても魅力的で、自動的に頭のくせになりつつあるこの感覚を持てたことは、私の人生にとって大きな影響を与えた。

大きく志を抱く

自分はこうなりたい
こんな憧れを自分に持っている
自分や周りがこうだったら、ストレスなんて感じられないんじゃないのか?
こうなれば、うまく行くんじゃないか?

たった今の時点、どうこうというわけではない。
「できていない」ことを、探すことではない。

未来の自分は「たった今」から、始まっている。
それを創りだしていくのは、すべて自分に委ねられている。
考える方向は、「前向き」か「後ろ向き」かしかない、どちらを選んでいきたいだろう。

少年は、まだ若い。だからこそ可能性を、持っている。
その可能性を伸ばせるように、大人は常に正しいことを勉強し続け、伸びてゆくしかない。

少年より先に、明かりを照らしてゆくために

そして、自分自身の進む道を、踏みしめるために。





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