2016年6月29日水曜日

育てるもの、育ちゆくもの

何においても、「育てる」とは、すぐに結果はでないし、それでいいのかどうかも、確信がはっきりしない。育ってゆくものをみて、はじめてその結果が目に見えてくる。

家庭で子どもを育てることもそうだが、
未来ある人の可能性をあらゆる角度から育てる事、
未知の世界に飛び込んだ人へ、私たちがすでに経験したことをもとにに育てる事、など
さまざさな切り口で、育てる環境は存在する。

そのどれも、目指すところは「育つ芽が、自信をもって自立していけるように。」

頼られる立場をいずれ超え、格好よくなっていく。
成長と共に育ってゆく途中、縁あって私たちは、関わる。

自分が説明できる全てを使って、育つ方向にむかってもらえるように。



知恵や経験、エネルギーを相手に出しきって、無くなるものはない。



全ての知恵を絞って、よく考えてアプローチする。  


特に、手応えの結果を早くに見せてくれる子どもたちには、同時に大人にも、プレゼントのような学びと喜びを与えてくれる。
以前はできなかったことも、成長すれば必ずできるようになる。

一年前、歯科治療に来た3歳の女の子、治療が怖かったが、この度ようやくスムーズに出来るようになった。
当時彼女にとって、どうしても超えられない壁をもっていた。

彼女自身、それまでに育っているものと外界と折り合わない部分。


あの時、彼女と同じように、超えられないと決めてしまい,
先に白旗を振っていた大人側もいただろう。

その日、彼女が出来るメニューを根気よく続けていく事が、私にできる最大の仕事だった。
かなりの回数だったので、ご家族の協力あっての事で、今思えば
「頑張ったかいがありましたね!」が、ぴったりの言葉となった。

こうしてみると、集団にうずもれて、個の位置が分からないまま進んでいってしまう事は本当に危ない。
今、「できるか」「できないか」の結果だけを見て判断が下るとすれば,できない場合、それがどの程度で、どこがわからない、つまづいている箇所を、取り除くなどの働きかけは、各個人や家庭に委ねられる。

一番、大切なところだ。


その過程を私たちがどう関わっていくか?
そのプロセスを問われている。
勝手に成長しているかのように見えるものでも、実はその人に合った階段の登り方がある。





中学生の修学旅行先の一つより
仁和寺を題材に・・・

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