2015年9月6日日曜日

本質にせまる

物事の全てにおいて、「本質」というものがある。
それは、辛い、悲しいと感じる出来事があった時こそ、それに逃げずに立ち向かって考え考えた末、目の前のぼんやりした視界が、わずか晴れてくるように進む道があると、見えてくる。
それが本質へと向かっている方向。


「人は成長するしか道はない」と学んだ。

成長するとは、今まで培い慣れた枠から飛び出そう、超えようとする時だ。
ちよっとした勇気の塊が必要な時。
確かな決意というものがあれば、後々の、「決意」に対する持続力とその後の伸びへと繋がる。

「決意」とは

その先の
イメージをすれば、最終的に「よしやろう!」と、意識を裏打ちする力が湧いてくる事からはじまる。
つまり、
自分の為になり、
相手の為にもなる、
そして周りにはよい影響を与えられる  こと、
から考え出せたなら、堂々と胸を張って進んでいっていいと思う。

そこまで、準備を整え方向をバッチリ向ける。それで視界が開け、「決意する」に至る。

力強い気持ちに支えられたら、不安もなくなり、納得の笑顔がある。

      ・・・このプロセスを通らなければ、三日坊主に終わる。

マンネリを抜け出したい、
新しい事にチャレンジする、
ポジションを変える、
働き方に変化を加える、

など、人の決意するタイミングは様々だ。力が芽生えるきっかけのタイミング。

うまく働く人に、おんぶや抱っこでは、自分自身、またグループやチームであっても、それは伸びない。

それぞれが、考えを持ち、自立していけるように、刺激し合えば、レベルアップしながら、進化していける。
その様子は、他者から見ても気持ちの良い光景なはずであるし、応援したいとも思う。

人生の中で、いろんな決意をする。

新しいステージの決意が、人に成長する道を教えてくれる。
只々、すすんでゆく確信とともにあれば、振り返って不安材料を探す事もない、前を見ていける。

哀しみの涙を流しても、そこに次の光を見出せる力を、皆んなはもっている。
知識の量でもない、学歴でもない。
この秋、ムラサキシキブの実が色づき始めるころ、義兄の命に変えて、私達家族の新しい人生ステージが開けた。








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