さて、小学校の宿題として出される日記、文章の構成もあるだろうが、一番心に残ったことを、表現したらいいと思う。
記憶をたどりながら…しかし、
よくある面白くない日記は、例えば、お決まりの報告文。
したことをツラツラ書いて、最後に「楽しかったでーす!」でしめる。
我が子はこの宿題によく頭を悩ませていたし、今も悩むときがある。
思ったことを口にして、そのまま文にすればいいのに、文にすると報告書になる。
時折、どう書いたらいいかと聞きに来るので、状況を聞くと色々とネタが湧いて出てくるものだ。
ある出来事を引き合いに、そこに関わった自分,何を感じ何を考えたのか?そこを私も知りたい。
だから、質問をする。
「この内容を、知らない人にはどう教えたらいいか?」
出来事に対して
「その時、どうした?」
「どうなった?」
「どんな気持ちだった?」
と、続けていくと一つのまとまった文章になり、
「それっ!!、それ書いてみて!」と、目の前で大きくわが子を指さしている私。
先が見えてくると、我が子も「そうか!」と、ピンと来たようで、あとは文にするだけである。
ノッてくると、「ここにこの言葉を入れたい」と、遊び始める。本人はウキウキ。
出来上がった日記の読み返しのチエックをたのまれて、見ると最後の文になるに連れ、句読点の○の後、3マス開けて次の文へと続いている。
「なんで3マスも開けてあるん?」
と聞くと、
「開けてみたかったんよ〜。」
ときた。
あーそうですか、ではそのまま・・・、いっちゃってください。
翌日、提出。 どうなったんだろ、アレは・・・ま、ええか。
りんごの美味しい季節、昭和なりんごは、今の子どもはあまりしないかな・・・。 |
このように、「質問を繰り返して、想像力をつけていく」ことは、
生きていくための、考え方の訓練でもあると思っている。
今のわが子に何が必要で、日々何を教えていくかは、毎日の積み重ねによる結果ということで、
これが大人になれば、頭の中で力となり働くため「質問力」という言葉になる。
そのベクトルは、「出来るための理由に対する質問」に合わせる。
「今、何が出来るか?」
「他に考えられることはあるか?」
「協力は求められるか?」
などなど、状況に応じてさがせば、たくさんある。
ぜひ日々、お試しください。
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