2015年8月19日水曜日

人の目が気になる

私達は、人の目が気になる生活をしてきた。

「そんなことしたら、人に笑われる」かもしれない、
「そんなことをしたら、怒られる」かもしれない、
「自分は人からどう見られているのだろう・・・?」っと、勝手に思考が走ってゆく。

また、
屈辱的な思いをしないだろうか?
迷惑と思われないか?
賛成されなかったら?   などなど

人の目が気になる後に、マイナスイメージがついてくる。
だから、そんな事態にならないようにと抜け出せるまたは回避できる方法を何とか考える。



それは、自分から出たアイデアという羽を広げようとしても、すぐさま、たたまなければならなくなる時だってある。自分の行動を制約しなければならないのである。子どもでも、大人でも。


なぜ、人の目が気になると思ってしまうのか?

たとえば、集団にはいれば、
最初は、みんなの集団にいても、ペースについていかなくちゃと、焦る気持ちを持ちつつ、初心の気持ちから楽しむというより、ついていかなくちゃと使命感に駆られることはないだろうか?
また、他人から言われたわけでもなく、自分の勝手な想像に苦しんでやしないか?

私も、
周りのペースを気にしていた頃があった。

娘が3歳の頃、私の力となった言葉をかけてくださった、子育て支援施設のスタッフの1人。

このスタッフに、はじめて会って、私の娘を見て、こう言いました。

手前におもちゃを置いてみて、「あなたは、なにがしたいのかな〜」と、初対面の子どもに優しく語りかけていた光景が鮮明に思い出されます。

「あなたは、なにがしたいの?」とは・・・決定権は本人にありと・・・。
私、いろいろ決めてしまっていたな〜と反省と衝撃のお言葉でした。

この子も待てば自分から動き出す、聞けば自分で結論を出せる子どもです。
人の目が気になり、時間を待てず、それだけですでに心の両目を塞いでいた私という存在が浮き彫りになりました。

「1人のこども、そのままがいいんだよ。」
と、
「そのままで・・、いいのか・・・。」
それでいいといわれるのなら、このままを信じようと思う日々だった。根拠はわからなかったけど。


自分に必要なものは、とらえよう!よくひかかりそうだ!?
今やっと、その根拠に近づいている感覚があります。
生まれたまっさらの状態から、人は何を学び何を開花させようとしているのか?

あらゆる過去の経験や、人物の過ぎ去った一生から、私達は学べる立場にある。
自分の生涯を繰り広げながら、過去から学び取り、いったいどのような状態にあるべきなのか?
それを、誰もが考え始める時代がやってきた。

あなたも、例外なくその一人である。

この疑問にたどり着けば、ようやく自分自身が動き出している。
今まで、気にしていたことは実は不必要だったとするならば、何が必要なのか?
答えはポンと用意されない、なぜならば考え方は技術だから磨くべきところに、ウエイトを置く必要がある。
チャンスを取り逃がす前に、準備しておくという事だ。




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