2015年9月26日土曜日

味噌活用

出来立ての味噌で、娘に一品お願いする。

ゆで野菜の、味噌ディップ。

すりばちを用意し味噌からスタートし、自分が終わりと決めた所で仕上げてもらうことにした。

残り少ないマヨ、水を足してシェイクしたもので水分調節。

好みで、マヨ追加。

味噌にかぼす・・・いつもの調子で絞ったら、入れすぎた。

すっぺ、さとうさとう〜。

できたよ〜。うまい。

はい、ご苦労様。味噌にしては、さわやかな風味のディップが出来ました。ありがとう。
レシピをみて作るわけでもなく、まさにインスピレーションのまま進むとは、このことで。
この日のゆで野菜は、オクラ、きゅうり、人参、里芋でした。

いいかどうかは、自分の舌で毎回チエックしているようです。
この、「味見」という作業は、とても大切で、調味料を入れる前と、入れた後でどう違うのかを舌で考えているようで、この経験が次の料理の調味料選びに役立っているようです。

何においても、before/afterは、大切です。

自分が通り過ぎてきたものに対して、振り返ってbefore/afterが、言葉にできたらその経験はその人そのものになっているという事でしょう。

新しいレシピに挑戦するだけでなく
新しい本に出逢う
何か人から、教えてもらって生活に取り入れる

など、様々な事例がある中、さてその後どんなafterが、待っていたのか、あなたにどんな
before/afterがありましたか?

自分にとって、成長する方向に変換の道が進むといいですね。








2015年9月22日火曜日

よし、今だ!

昨年12月に、仕込んだ自家製大豆味噌。
今年のゴールデンウイーク頃なら、いつ蓋を開けても良かったのだが、前年はまだ熟成が若く、味噌の色が仕込んだ時とあまり変わらなかったため、今回はすこし期間を伸ばして・・・とするうちに秋になり、「あ・・そうだった。もう、今の味噌、なくなるしな・・・。」

一度蓋を開けたら、小分けしてすべて冷蔵庫に移す必要があるため、

        そろそろよ、いつにしようか・・・

ゆっくりした静かな休日の朝、天気もよく気持ち良い。
「よし、今だ!」

と、床下収納から、8キロの味噌容器を取り出し作業へ。
「なんだか、麹菌が容器外にも充満してる感じ・・・。」

蓋を開ける前に、娘に一声
「味噌の蓋、開けるよ〜」
「ええ〜っ!!」(とっ、とっ、とっ、とっ)近づいてくる。

娘は、味噌汁が大好き。
早速、この状況を見にやってきた。

さあ、できあがり確かめの瞬間、蓋を開けると・・・、色づきも良く、バッチリな感じ。

「できた!」
大きめのタッパー5つ用意。

ゆで大豆、1,5キロ
塩入り米こうじ5キロ、のみで作った味噌、防腐剤はない。

活きた菌の熟成に任せて、味噌が出来上がる。
これは、日本の土地にしかできない、独特の調味料。しかも、私達のからだが欲しがっているものだ。これから、温かい汁物がとても美味しい季節。


今年も美味しい味噌汁、作るよ〜。

思い立った瞬間から、作業は一気に進む。
これが、いつもの集中時間。終わったあとはとても気持ちいい。

そんな、集中時間を楽しみながら、これからの時間も使っていきたい。





2015年9月18日金曜日

ツモリの感覚

歯磨きひとつとっても、ツモリの感覚に支配される。

舌で歯の表面を触ってツルツルしてるからOK !としても実は、汚れてますよ~まだまだ歯ブラシで取れる範囲ですよ、とコメントが出される、歯科の日常。

「そうは言うてもねぇ!そんなに歯ブラシばかりに時間はかけられんよ」と、いうのが本音かも!?

何分か時間さえかければ、かけた時間だけ歯はキレイになるのか?と聞かれれば、そうとも言い切れない。何故ならば、口の中の掃除をしようと思えば、それなりに知っておかなくてはならないことがある。
  相手を知ることにより、より的確な作戦がたてられるというものだ。                   
    1,歯磨きというのだから、まずは、歯から話をすると、
  • 歯は、丸い、または楕円形をしている。                         そこに歯ブラシを当てて動かしたら、まず丸みの強いところの汚れから、こそぎ落とされる。   同じ動きを繰り返しても、すでにキレイになっている部分を二重に擦ることになるため、                                             当てる位置を変えるか、                              ブラシの向きを変えないと、                                   一本の歯もまともに磨けないことになる。
2,次の口の周りの筋肉について

  • 歯ブラシを口の中に入れる際、意外とその動きを邪魔するのが、唇や舌、また口をしっかり開け過ぎると、歯ブラシの入りを邪魔する頬の筋肉。                     これらは、粘膜に入る力や緊張を緩めることで、ブラシの動きの制限がやわらぎ、操作がしやすくなる、歯ブラシを当てたい場所に持っていける。

    3,効率良く、汚れを片付けるため清掃道具の選択にも気をつけて

  • あらゆるデンタルリンス剤や歯みがき剤が売られる中、すっかりそれらの効能にお世話になりやっと綺麗になるわけではない。基本はやはり、歯の汚れに対し直接働きかける、「こする」という機械的作業。何かが当たってこすられることにより、歯の汚れは落ちるのである。                                                 こするための道具は皆さんご存知の通り。また、平切り歯ブラシの弱点を克服するかのような、ヘッドの小さい、ポイント磨き用の歯ブラシは、ポイントと言わずにメインに置き換えて歯みがきタイムを過ごすほうが、逆に時間単縮に役立つと言われている。
情報が氾濫する中にいる現代人は、自分にジャストサイズを選択するためにも、歯科医院を自分のために利用して欲しい。

まな板の上の鯉では、一番知っている自分の加減が無視されることになる。
それでいいのかと、自分に問えば実は自分は何が知りたいのか?何のために、足を運んでいるのかと、考えれば答えは自然に出てくる。

自分の歯を自分で守るための行動をより多く知って、楽しみを持って取り入れられたら、歯みがきもちょっと違う感覚になるのかな・・・。

念入りに磨いたあとの爽快感、たくさんの人に知ってほしい。

あれっ、と思ったことは思い留めておかなくては、どんどん流れていく。


さて、   
あらゆる場面に置き換えても同じだが、


自分にとって出来ていなくて気になっていることは、誰にでもある。
できていなくて、何とかしたいから、出来るようになる情報が目の前にやってくる。

だがその情報のみ、その時だけ見聞きして、あとは実行になかなか移れずまたは続かず、放おっておくと、「放ったらかしが平気な感覚」になる。

放ったらかしたまま、「ツモりの感覚」になれば、大変な落とし穴になることもある。
簡単な歯ブラシの話から、日常に当てはめて、
自分から大切だと引き寄せておいて、実行または成就に届かないでいることはないか?

自分自身に焦点を当ててみる。










2015年9月13日日曜日

ブレない勉強法

義務教育時代、答えを見ないで問題が解けるまで訓練をする。ドリルみたいに。
しかし、解き方が導けず、答えがどうしてもわからない時は、答えを見た。

教室でこれをやると、
「あ〜、答えみたらあかんのに〜。」ってな具合で、吊し上げ状態になる。

だから家でやる。

答えを横に置いて、ものすごいスピードでノートに写す人もいた。
しかし、それをやっているうちに、解き方を覚えてしまったという人の話も聞いたことがある。
どんなルートであろうとも、問題を解く訓練に手段は様々。  とするなら、

「これが答えですよ」

と、置かれてそれを当てはめさえすれば問題が解けるなら、それは原則といえる、数学で言う公式に当てはめるという事だ。

人の意識も同じく、原則があった。

それは、動物と人間の違いを当てはめたら成り立つものだった。


動物には、人間のように過去未来を知覚できる意識がない。現在のみに生きている。


よって、目の前にある楽を貪り、目の前の苦から逃避することが、自らを守る選択となる。

人間は動物にはない、「苦楽を引き寄せる法則が逆さまである意識の次元」を、持つようになった。
(肉体は物理次元なので、動物的反応のままで良い)

しかし、意識次元に物理次元では有効に働く「楽を貪り、目の前の苦から逃避する」反応を持ち込むと、結果として、楽を失い苦を増大させる結果を招く。
                       {重見幸俊プログラムより抜粋}



人間は、「苦に立ち向かい、楽に対しては準備して待つ」と、事の運びは、およそうまく行くことが、
わかった。

面倒くさい、それは人事、やりたくない、と、思いが先に立つなら、なかなか辿りつけない。
また、そのとおりと思えど、間違った方向に捉えてしまっても結果は同じく。

内在する本当の自分を解体する学びをしつつ、方向性をあわせ、苦に立ち向かう理由を、答えから知れば、ブレも少なくなる。
それでも解体すれば、間違った方向に捉えている自分は、普通200も300もあると言われている。

それだけあるなら、時間のかかる学びと一目瞭然。それをいつ始めようが、気づいた時がラッキータイミングだったという事になる。

今となって、言えることだけど・・・。
階段を1段ずつ、ゆっくり登る学びは、達成感アリ!







2015年9月11日金曜日

脳も、アップデート!

自分のこと、好きですか?と聞かれて、好きを選べますか?

あらゆる人に、間違いなく「はい」のセリフを選択して欲しいです。

「好き」に、ためらいがあったらそれは、なぜでしょうか?

そう考えると、ここがよくない、あそこがよくない
ここができてない、などと、重箱の隅をつつきまわしてでも、嫌な自分、しあわせではない自分をどんどん説明してしまう。
うまくいったにしても、「いやいやまだまだ全然ダメだ」と、言葉に出てしまうとするなら、

いつになったら、「うまくいってるぞ」、「よく頑張ってるな」って、思うのでしょう。
それは、誰が言って認めてくれるのでしょう。
ゴールできるのはいつ?

私の父は、人から褒められると
「いやいや、なかなか・・」と必ず言いました。

子どもの時、どういう意味なんだろうと思っていました。

顔は、嬉しそうなのに、言葉は「いやなの?」なーんて・・・。


それが、世間体なのかもしれなかったけれど、時代は進化しています。
昔、常識な振る舞いだと思っていたことは、我が子を育てる時代まで常識のまま置いておいていい部分と、そうではなくなった部分もあることを、認識する必要があります。

人間の仕組みも、解体されている中、心のあり方も同じことが言えます。
「自分自身を信じられる人生」の中で、私達は生きていきたいものです。
忙しいと言われる時代が来て、自分自身を置いてきてしまった私達、必要でないものをたくさん抱えて、それとは知らずに、悩みの渦に巻き込まれて、沈んでいないか?


人の意識に焦点が当たる時代となりました。


難しいことをするわけでもなく、現状の自分を自分を知り、より良い自分を求めて一歩ずつ。
求めるからこそ、目の前に必要なことがやってくる。

自分に、努めて教えなくてはいけなくなってしまっている、自尊心。
自尊心は、人からなにか言われて傷つくものではなく、傷つくとすればそれは自尊心ではない。
自分を信じているからこそ、自尊心となる。

脳を、アップデートして、信じられる自分を迎え入れる準備をしよう。

2015年9月9日水曜日

賢者が残した言葉

アインシュタインが未来の私たちに残した数ある言葉の中に、

学校で学んだことを、 一切忘れてしまった時に
なお残っているもの
それこそ教育だ

という言葉が、あります。
 これは、何を指し示しているのでしょうか?
天才の言うことは、天才にしかわからない.....ことはないのです。
私たちも、考えればわかります。

学校教育で色々と、学習しますがそれも日常使わなければ次第に忘れます。
「あれは何だったかな?」と、調べばわかるものは、調べさえすれば良いのです。
自分の中に、教えて育てられているもの
知識が知識だけでとどまらず、自分そのものになった時、覚えていようとしなくても、行動や考えに辿りつける迷いのない感覚。

1,無意識的有能・・・つまり、考えて無くても、そう感じ、そう出来るのがすでに自動的な認識のこと。

になるなで、大切なことを自分に、働かせたい。

しかし、
2,分かったから、やれば出来る・・・・意識的有能
3,わかっちゃいるが、出来ない。・・・・意識的無能
4,分かっていないから出来ないし、分かっていないことが分かっていない。・・・無意識的無能

と、人間の認識の段階は4つに分けることが出来ます。


1,は意識の段階が一番深く入り、忘れることのない状態、身近な例えでは、小学校で習う九九。
何回も繰り返し、頭に入るまで。九九をもう一度習い直したいという人は少ないと思います。

自分に必要なことは、正しく頭にいれて、さらに忘れないようにくりかえす。

一度、いれたら、再度入れなおさなくてもいい、ここに来る前の段階2,分かったから、やれば出来るで放おっておくと、段階3,4,と落ちていき、最後は全く忘れてしまった状態に、後戻りするのです。

いい話を聞いたあとでも日常このような忘れ方、経験したこありますよね。

     自分が生きていくにあたって、何を育てておく必要があるのか?





わが子に、たくましく生きていって欲しいと、誰もが願う。


子どもを育てる私達は、そのカジをとらなければいけない。
大人は、見ぬく目を必要とする。
何をもっていたら、正しく見抜けるのか?それを探しながら、知った端から、待った無しの子育てに活かす必要がある。


無意識的有能にまでたどり着かせ、迷いの残らない素直な子育てを楽しみたい。

それは
「自分らしく、したい事をして生きる人生」を、親子ともに歩むためにも。




2015年9月6日日曜日

本質にせまる

物事の全てにおいて、「本質」というものがある。
それは、辛い、悲しいと感じる出来事があった時こそ、それに逃げずに立ち向かって考え考えた末、目の前のぼんやりした視界が、わずか晴れてくるように進む道があると、見えてくる。
それが本質へと向かっている方向。


「人は成長するしか道はない」と学んだ。

成長するとは、今まで培い慣れた枠から飛び出そう、超えようとする時だ。
ちよっとした勇気の塊が必要な時。
確かな決意というものがあれば、後々の、「決意」に対する持続力とその後の伸びへと繋がる。

「決意」とは

その先の
イメージをすれば、最終的に「よしやろう!」と、意識を裏打ちする力が湧いてくる事からはじまる。
つまり、
自分の為になり、
相手の為にもなる、
そして周りにはよい影響を与えられる  こと、
から考え出せたなら、堂々と胸を張って進んでいっていいと思う。

そこまで、準備を整え方向をバッチリ向ける。それで視界が開け、「決意する」に至る。

力強い気持ちに支えられたら、不安もなくなり、納得の笑顔がある。

      ・・・このプロセスを通らなければ、三日坊主に終わる。

マンネリを抜け出したい、
新しい事にチャレンジする、
ポジションを変える、
働き方に変化を加える、

など、人の決意するタイミングは様々だ。力が芽生えるきっかけのタイミング。

うまく働く人に、おんぶや抱っこでは、自分自身、またグループやチームであっても、それは伸びない。

それぞれが、考えを持ち、自立していけるように、刺激し合えば、レベルアップしながら、進化していける。
その様子は、他者から見ても気持ちの良い光景なはずであるし、応援したいとも思う。

人生の中で、いろんな決意をする。

新しいステージの決意が、人に成長する道を教えてくれる。
只々、すすんでゆく確信とともにあれば、振り返って不安材料を探す事もない、前を見ていける。

哀しみの涙を流しても、そこに次の光を見出せる力を、皆んなはもっている。
知識の量でもない、学歴でもない。
この秋、ムラサキシキブの実が色づき始めるころ、義兄の命に変えて、私達家族の新しい人生ステージが開けた。








2015年8月27日木曜日

他人が私!?

人から批判を受けた時、それまでに自分のしていた判断はさておき、批判の内容に立ち止まり、慌てて自分の描いたイメージを消し去ることがあった。

私って変なのか?
私って間違ってる?
私、取り残されてる?
空気読めてない?


ちょっと待って、
その批判の内容は、正しいか、否か?


熱い日に、日傘を忘れてしまい、帽子もない、「あ、そうだタオル載せとこ〜っと!」
と、頭にタオルをのせて歩いていたら、一緒に歩いていた小学低学年の女子に、こう言われました。

「そんなことしたら、笑われるよ〜」

「え、笑われてもいいよ、平気だよ。」
「だって泥棒みたい」

「泥棒??泥棒ってさ・・・」と、他愛もないおしゃべりをして現地につきましたとさ。


小学生時代にはよくある、ちょっと批判めいたものをどう受けるか・・・
身を守るために出した答え、「笑われるから」と他人に言われて、やめてしまうなら自分のことは
他人が決めたという事になります。


自分よ、それでいいのか?
自分の心配は自分しかしてくれない、その具合も自分が一番良く知っているんだ。
それは、自分が面倒見るところ。


笑いたけりゃ、笑ってください。そんなこと私の気にする所ではありませんよ。


受け取る言葉、受け取らない言葉、
批判を聞かないように耳を素通りさせる事ではない
自分の
よく思われたい、よく見せたいは、ときおり、受け取らなくて良い言葉を受け取り、おかしな行動になってしまう。

他人は他人、自分は自分で決めていい。
それの判断基準は、真に自分に為になること。よく考えたらわかること。
自分の為にならない事を、知らぬ間に選んではないか?

怖がらなくていいし、ひるむことなし。

自分への、「確かな目」を、ひらいてみよう。




慣性の法則

何か新しい事をはじめたい、はじめようと思ってから、時間がたつと次第に、思いつく前の自分に戻ってしまいます。

はじめるつもりが、はじめようと思うだけになり、はじめたいんだけど...,

と薄い願望で、「保留」してしまう。

こんな運びになった事はいくつもあります。

物体がそこにとどまろうとする力を表した、「慣性の法則」は、物理の世界だけでなく、人の意識の世界にも当てはめて、説明することができます。

新しい改善点や、思いついた良い事に対して、


できない理由が見つかる
何かほかの用事ができて、そちらのほうが優先・重要と感じる
面倒くさくなってきた
このままでいいや
どうせ自分は続かない
自分には無理なことだと諦める

    と

やってみよう
最初はよくわからないけど続けてみよう
今の自分に何ができるかを、考えよう
今より良くなれるなら、そうなりたい

に、二分され両者の方向は真反対、これを過去にあらゆるパターンでどちらかを選択してきました。
そうすると、「好き」と思うことはよく続き、「苦手意識」があれば、ブレーキが自然にかかります。

自分にとって必要なことなのに、ブレーキがかかった場合、それが今後の自分の行動パターンの形成に関わるとしたら、自分のためになる方を選ぶことが、ひいては自分をパワーアップさせる元となるわけです。


今の自分、そのものの考え方や性格は、それまで持っていきた思いや考え方によるものです。

こういう時にはこうする、こうなった時にはこう出るなど、その基準になった思いや、考え方は何だったでしょう?


しかし、意識の慣性の法則は、その領域を広げることができる、
苦手なものは、一生苦手ではないという事です。

もう一度・・・

勇気を出して、

苦手だと思っていた過去の記憶にチャレンジしてみる。
心配だから特に丁寧に向き合う、

すると、つまずいた場所が認識できるときが必ずくる。


「あ、そうか、ここか!」


絡まった糸が解けるようにするりと、それは爽快に、記憶が塗り替えられていきます。

これが自分1人の時は達成感と共に、
2人なら、信頼と共に、
3人なら、どうなるんだろう?
三人寄れば文殊の知恵は、ただごとではなくなる。

可能性が広がる40代を、存分に楽しみたい!










2015年8月24日月曜日

競争意識

小学生も終わりのころのある女子との会話。
     
      「夏休み楽しんでる?」から始まり、進学の話に・・・
女子「中学で一緒になる、あの小学校って賢いん?」
私 「んー、いろんな子がおるんじゃない?」
女子「だってね〜、聞いたら漢字テストの点数高かったよ〜うちの学校の人、
    ひと桁の点数の人おるもん。」
私 「点数ありゃ賢いとは限らんで〜、そんなに点数って気になるん?」
女子「うん。」

っとまあ、今の段階で「中間テスト!」という、キーワードも気になるらしいです。上の兄弟がいる関係も影響しているかもしれません。

また、「良い点をとっても、次の学校で点が取れる子に負けて、順位が下がる、頑張って点を稼いだとしても、次の学校に進学すれば・・・・、運動も一緒よね?」と。

女子・・・よくわかってるじゃないか〜

活発で明るい女子、バイタリティーあふれるこの時期に、そこで悩んでしまっては、
本当にもったいない。
利口な子どもたちに私達は何をアドバイスできるのでしょう。

点数化されるしかないものさしを、当たり前に受ける子どもたち、点数で並ぶなら、1点でも多い方が前に来る、一喜一憂しながら、そこから育つ判断基準とは、何が生まれるのか?

人は、それで判断されて良いのだろうか?



点数や成績を基準に上を目指し、必ず頭打ちがやってくる時がある。「目指す目標」としてならまだしも、数少ない限られた席に座ろうとすると、椅子取りゲーム状態になる。
真に養うべきものを間違えれば、人を見下す気持ちだって湧いてくる。
うまく行かない自分を責める
人の目も気になる
絶望感も感じるのかもしれない

人の思考パターンや、そのパターンからの行動の出かたは、その人の履歴となって蓄積される。
過去の履歴が今にどう影響を与えているかは、40代となれば、ふむふむいろいろと、やらかしてきたものだ。
その経験から、修正が必要なものもあれば、持ったほうがいい考え方もある。
子育てをするという事は、もう一度原点に帰って、何が人にとって必要かを考え直すきっかけかもしれない。
すぐそばに、今育っている若い芽が、あるのだから。

誰でも、いつからでも、はじめて良いと思う。


学ぶ時代には、学び方をマスターしてほしい。
マイナス思考で、学んでもそりゃ楽しくない。

最終的に「なんだって、やる気になったらできる」という算段を持てたらいいと思う。

これは、大人になっても必要な考え方だから。
やる気と研究心があると、その先がなかなか楽しいものです。


2015年8月19日水曜日

人の目が気になる

私達は、人の目が気になる生活をしてきた。

「そんなことしたら、人に笑われる」かもしれない、
「そんなことをしたら、怒られる」かもしれない、
「自分は人からどう見られているのだろう・・・?」っと、勝手に思考が走ってゆく。

また、
屈辱的な思いをしないだろうか?
迷惑と思われないか?
賛成されなかったら?   などなど

人の目が気になる後に、マイナスイメージがついてくる。
だから、そんな事態にならないようにと抜け出せるまたは回避できる方法を何とか考える。



それは、自分から出たアイデアという羽を広げようとしても、すぐさま、たたまなければならなくなる時だってある。自分の行動を制約しなければならないのである。子どもでも、大人でも。


なぜ、人の目が気になると思ってしまうのか?

たとえば、集団にはいれば、
最初は、みんなの集団にいても、ペースについていかなくちゃと、焦る気持ちを持ちつつ、初心の気持ちから楽しむというより、ついていかなくちゃと使命感に駆られることはないだろうか?
また、他人から言われたわけでもなく、自分の勝手な想像に苦しんでやしないか?

私も、
周りのペースを気にしていた頃があった。

娘が3歳の頃、私の力となった言葉をかけてくださった、子育て支援施設のスタッフの1人。

このスタッフに、はじめて会って、私の娘を見て、こう言いました。

手前におもちゃを置いてみて、「あなたは、なにがしたいのかな〜」と、初対面の子どもに優しく語りかけていた光景が鮮明に思い出されます。

「あなたは、なにがしたいの?」とは・・・決定権は本人にありと・・・。
私、いろいろ決めてしまっていたな〜と反省と衝撃のお言葉でした。

この子も待てば自分から動き出す、聞けば自分で結論を出せる子どもです。
人の目が気になり、時間を待てず、それだけですでに心の両目を塞いでいた私という存在が浮き彫りになりました。

「1人のこども、そのままがいいんだよ。」
と、
「そのままで・・、いいのか・・・。」
それでいいといわれるのなら、このままを信じようと思う日々だった。根拠はわからなかったけど。


自分に必要なものは、とらえよう!よくひかかりそうだ!?
今やっと、その根拠に近づいている感覚があります。
生まれたまっさらの状態から、人は何を学び何を開花させようとしているのか?

あらゆる過去の経験や、人物の過ぎ去った一生から、私達は学べる立場にある。
自分の生涯を繰り広げながら、過去から学び取り、いったいどのような状態にあるべきなのか?
それを、誰もが考え始める時代がやってきた。

あなたも、例外なくその一人である。

この疑問にたどり着けば、ようやく自分自身が動き出している。
今まで、気にしていたことは実は不必要だったとするならば、何が必要なのか?
答えはポンと用意されない、なぜならば考え方は技術だから磨くべきところに、ウエイトを置く必要がある。
チャンスを取り逃がす前に、準備しておくという事だ。




2015年8月16日日曜日

この世に残していくもの

一年前、娘にとって大切なお友達をなくしました。

歳の差は70歳以上、お隣に住む1人暮らしのおばあさんでした。

お付き合いの期間は、5年ほどですが、二人は逢えば楽しそうにおしゃべりをし、あらゆる話をしたそうです。
入院された時期もあり、小学校の宿題の日記に、「わたしの、友達が入院しました。腰が痛いそうです・・・」という書き出しで思いを綴ったこともありました。

お見舞いに行って、お手紙を渡しに行っては、「早く病院から帰ってこないかな〜」と期待しつつも、とうとう、その命に終わりが来たと知った時、娘はまさに三日三晩シクシクと思いだしては、泣いていたものでした。

夏休み期間だったので、日々どうしてやったらいいものかと思いましたが、辛いけれど命には終わるが来ること、これからはいつでもずっとお空から見てくれているよ、とシクシクするたびに、話をしていました。

そしてお葬式の日に間に合うように、彼女にお手紙を書いて親族の方へ託すことにしました。
短い文でしたが、娘が本当に楽しい時間を過ごし、また生まれ変わってもお友達として逢いたいという内容の文を最後のメッセージにしました。

いつか、自分も命に終わりはやってくる。

それまでに、形はないけれど、まだ生きている人たちへ残せるものは何だろうと思う。

今、生きてきて、わかったことがある。

今、生きてきて、知らないこともある。

体があって、思いを表現できるすべや、誰の前にもすぐ近くにたくさん学びがあるからこそ

シンプルで、忘れてはいけない、「何か」に気づく。


その気づきは、人によって種類は違うかもしれないけど、向かっている方向は受け継がれていってほしいものを、残していけたらいいと思う。


死ぬ準備といえば、まだ早いと言われるかもしれないけど、私の周りで起こることは、このような形で
考えるきっかけをくれる。
よく考えて自分が出した答えは、自分にとって必要なことだ。


本物の楽しく生きるを探し求めて、「行くぞ〜!」















2015年8月15日土曜日

時間をかける

「いままで、何に時間をかけてきましたか?」

と聞かれて、変な質問だと思うかもしれません。
「いままで、何にお金をかけてきましたか?」なら、ピンとくる質問でしょうか?

世の中は、お金が一番、お金が基準として回る仕組みとなっています。

ある意味,価値をつける道具には、なるかもしれません。

ほとんどのものは、お金で買えるようになりました。
そして、あらゆる仕組み、人が今欲しいと思うものにどんどん値段が付けられ
売られるようになりました。

しかし、中には、お金で買えないものもあります。

それは、自分自身で本当に身につけたいもの、人間力を磨くことです。ノウハウ本はたくさん出回っています。

過去に憧れる人物がいて、そんな能力が自分にもほしいと、本を読んだりして学んでいる人はたくさんいます。
しかし、魅力的なノウハウも、一度聞いて、または読んで「よかった」という経験だけでは、思い出で終わってしまいます。


人間の成長に魅力がたっぷりあるからこそ、ものになるまで学びたいと思うのです。
そのためには、同じ事でも繰り返し、納得が起こってもなお、繰り返し、
自分の脳のデータを「オリジナル進化した自分」にするために、時間を使うのです。

脳のデータは、自分でしか作れません。自分に、日々蓄積データとしてつまれていくのなら、誰もがほしい、お金で買えない、その人そのものの魅力になるわけです。


確かに、そうなりたいと願う気持ちを、察するように現れる商品や、ノウハウが書かれているものを今までにもいろいろ見て来ました
最近は「コレひとつで、すぐ身につく・・・」という、時間かからず、ちょっとお怠けごころをくすぐられてしまう、うたい文句もありますが、それは本当にそうでしょうかと考えることが大事です。

限られた時間だからこそ、繰り返しに時間がかかったとしても、それは学びの近道とも言えるのです。
あと何年自分は生きるのか?
逆算した時、いまの社会で苦しんでいる状態をみて、その路線に自分は乗ってはいないか?
自然の摂理を学びに活かして・・・

味噌よりも熟成期間が必要な自分の脳ミソ、使い方を決めるのは自分自身。それを知るのも、実行に移るのも、求める力が強ければ強いほど、有効です。
時間をかけて仕込めば、自分らしいポジションが見えてきます。